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負けたらブームが終わる…なでしこジャパンが背負った“世界一の重圧”とは? 宮間あやが明かした本音「恐怖ですね。銀座のパレードの時だって…」
posted2023/08/05 11:02
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph by
Getty Images
「恐怖ですね。ロンドン五輪後の銀座のパレードで大勢の方々に喜んでもらったあの時だって。正直、充実感と達成感を上回る、重圧があった。『ここからどんな世間の渦に飲み込まれていくんだろう』という。だから、W杯優勝後は手放しで喜ぶことはもうなくなりました」(宮間あや)
◇ ◇ ◇
誰も知らない、未踏の地に彼女たちは立つことになった。快挙。サッカー界では途上国に分類される日本が、初めて世界の頂点に上り詰めた。
男子の日本代表も当然成し遂げていない、W杯優勝という歓喜の瞬間を迎えた。2011年夏のことだった。日本列島は、まだ活気を取り戻せずにいた。3月に起きた東日本大震災。国民はもう一度視線を上向きにできるニュースを待っていた。そこに届いたのが、なでしこジャパンのドイツW杯制覇の報せだった。決勝戦で追撃の1点目を挙げ、澤穂希が決めた同点ゴールをアシストしたのが、宮間あやだった。
翌年にはロンドン五輪に出場し、決勝は1年前に下したアメリカとの再戦に。結果は1-2の敗北。その瞬間、宮間は涙した。澤からキャプテンマークを受け継ぎ臨んだ初めての世界大会。負けられない思いは、誰よりも強かった。それでも数十分後に行われたメダル授与式では、宮間ら選手を中心に話し合い、全員が満面の笑みで手をつないで喜んだ。日本女子サッカー史上初の五輪メダルに、再び日本中が沸いた。
“世界一なでしこ”の終焉「未来への恐怖」
時が経ち、2016年3月。なでしこは夏に控えたリオデジャネイロ五輪の出場権を取り逃す。膨らむまで膨らんだ周囲の期待を背にしながら、彼女たちはここで遂に踏ん張り切ることができなかった。
すでに、リオ五輪予選では澤は代表から退いていた。この敗北により、佐々木則夫監督が率いて長く続いたチームが、終焉を迎えた。そして宮間ら経験者も一人、また一人と代表から去っていったのだった。
世界の頂点に立ったあの時から、世間はなでしこに熱視線を注いだ。これまで苦戦していた強豪国を次々と倒していく彼女たちの姿に、美しさと強さを重ねた。
誰も弱音は吐かなかった。ただ、世界で勝ったことで味わった、不確かな未来への「怖さ」。特に宮間は常に、それと隣り合わせだったように見えた。
技術の高さは世界トップレベル。キックの正確さと視野の広いプレーで、日本の中盤を司った。それだけでなく、彼女はピッチを離れても、味方にパスを配ると同様に、気を配り続けていたからだ。