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負けたらブームが終わる…なでしこジャパンが背負った“世界一の重圧”とは? 宮間あやが明かした本音「恐怖ですね。銀座のパレードの時だって…」

posted2023/08/05 11:02

 
負けたらブームが終わる…なでしこジャパンが背負った“世界一の重圧”とは? 宮間あやが明かした本音「恐怖ですね。銀座のパレードの時だって…」<Number Web> photograph by Getty Images

2011年W杯決勝では澤穂希の同点ゴールをアシストした宮間あや。W杯優勝後という難しい時期に主将を務めた

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西川結城

西川結城Yuki Nishikawa

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 再び世界一を目指すなでしこジャパンのW杯決勝トーナメントがいよいよ始まります。決戦を前に、これまで有料公開されていた『宮間あや「なでしこは散らない」』を特別に無料公開します。世界の頂点に立ってからの葛藤、そして後輩たちへの想いを明かしていました。【初出:Sports Graphic Number 968・969号(2018年12月20日発売)】※肩書きや時系列などは掲載時のまま

「恐怖ですね。ロンドン五輪後の銀座のパレードで大勢の方々に喜んでもらったあの時だって。正直、充実感と達成感を上回る、重圧があった。『ここからどんな世間の渦に飲み込まれていくんだろう』という。だから、W杯優勝後は手放しで喜ぶことはもうなくなりました」(宮間あや)

◇ ◇ ◇

 誰も知らない、未踏の地に彼女たちは立つことになった。快挙。サッカー界では途上国に分類される日本が、初めて世界の頂点に上り詰めた。

 男子の日本代表も当然成し遂げていない、W杯優勝という歓喜の瞬間を迎えた。2011年夏のことだった。日本列島は、まだ活気を取り戻せずにいた。3月に起きた東日本大震災。国民はもう一度視線を上向きにできるニュースを待っていた。そこに届いたのが、なでしこジャパンのドイツW杯制覇の報せだった。決勝戦で追撃の1点目を挙げ、澤穂希が決めた同点ゴールをアシストしたのが、宮間あやだった。

 翌年にはロンドン五輪に出場し、決勝は1年前に下したアメリカとの再戦に。結果は1-2の敗北。その瞬間、宮間は涙した。澤からキャプテンマークを受け継ぎ臨んだ初めての世界大会。負けられない思いは、誰よりも強かった。それでも数十分後に行われたメダル授与式では、宮間ら選手を中心に話し合い、全員が満面の笑みで手をつないで喜んだ。日本女子サッカー史上初の五輪メダルに、再び日本中が沸いた。

“世界一なでしこ”の終焉「未来への恐怖」

 時が経ち、2016年3月。なでしこは夏に控えたリオデジャネイロ五輪の出場権を取り逃す。膨らむまで膨らんだ周囲の期待を背にしながら、彼女たちはここで遂に踏ん張り切ることができなかった。

 すでに、リオ五輪予選では澤は代表から退いていた。この敗北により、佐々木則夫監督が率いて長く続いたチームが、終焉を迎えた。そして宮間ら経験者も一人、また一人と代表から去っていったのだった。

 世界の頂点に立ったあの時から、世間はなでしこに熱視線を注いだ。これまで苦戦していた強豪国を次々と倒していく彼女たちの姿に、美しさと強さを重ねた。

 誰も弱音は吐かなかった。ただ、世界で勝ったことで味わった、不確かな未来への「怖さ」。特に宮間は常に、それと隣り合わせだったように見えた。

 技術の高さは世界トップレベル。キックの正確さと視野の広いプレーで、日本の中盤を司った。それだけでなく、彼女はピッチを離れても、味方にパスを配ると同様に、気を配り続けていたからだ。

【次ページ】 米国FWワンバック「これから日本は重圧と戦う」

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