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メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
「シーズン73本塁打」「同僚とつかみ合い大ゲンカ」あのボンズが…なぜ新庄剛志を愛したのか? 予想を“裏切った”日本人初メジャー4番の伝説
text by
水次祥子Shoko Mizutsugi
photograph byGetty Images
posted2023/08/01 11:00
サンフランシスコ・ジャイアンツ時代に共闘したバリー・ボンズと新庄剛志(2002年)
予想を“裏切った”活躍
実際、メッツに入団してから4番に抜擢されるまでの新庄の活躍は目覚ましかった。開幕時は「4番目の外野手」という控え扱いだったが、起用されればいい場面でヒットを放ち、塁に出れば俊足で次の塁を狙い、外野では毎晩のようにテレビのハイライトシーンに登場するような好守で圧倒的な存在感をみせた。開幕からしばらく打ってもじきに成績が落ちるだろうという周囲の予想も裏切り、好成績を維持して1年目の前半戦を終わった時点で打率2割8分1厘、5本塁打、32打点。オールスターのファン投票では選ばれこそしなかったもののかなりの票が入り、4番目の外野手のはずが蓋を開けたらオールラウンドの貴重な戦力になっていた。
日本人初の4番だけではない。そのシーズンに10本塁打を放ち、日本人で初めて1年目に2桁本塁打をマークした。さらに日本人がメジャーで初めて満塁弾を放ったのも新庄で、ジャイアンツに移籍した2年目の2002年5月17日のマーリンズ戦だった。MLBで「日本人初」を次々と達成したそのキャリアを振り返ってみると、なかなかにスゴかったと今更ながらに思う。
怒鳴り合いのケンカも…チーム状況
結果を出して周りに認められたこともスゴかったが、周りの選手や監督の心をいつの間にかつかんでしまうその人間力も卓越していた。
そのことを特に実感したのは、トレードでジャイアンツに移籍したメジャー2年目のことだ。当時のジャイアンツには絶頂期のバリー・ボンズがいたが、2000年MVPに輝いたもう1人のスター選手ジェフ・ケントとは犬猿の仲で、チームの雰囲気には常に緊張感があった。新庄が所属していたシーズンの中盤頃には、試合中のベンチで2人がつかみ合い怒鳴り合いの喧嘩をする騒動を起こした。
とりわけボンズはチーム内では孤高の存在だった。前年の2001年に史上最多の73本塁打放ってメディアの注目を一身に集めたが、当時はちょうどMLBでステロイドなどの筋肉増強剤の問題にスポットが当たりだしていた時期で、もともとメディア嫌いのボンズはますます口を閉ざし、チーム内でも近寄りがたい空気を発していた。
なぜボンズに愛されたか?
驚くことに、新庄はそんなボンズに気に入られていた。