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メジャーリーグPRESSBACK NUMBER
「シーズン73本塁打」「同僚とつかみ合い大ゲンカ」あのボンズが…なぜ新庄剛志を愛したのか? 予想を“裏切った”日本人初メジャー4番の伝説
posted2023/08/01 11:00
text by
水次祥子Shoko Mizutsugi
photograph by
Getty Images
日本人で初めて「メジャーの4番」を打った新庄剛志(現・日本ハム監督)。2001年からメジャーでプレーした3年間で、多くの「日本人初」を成し遂げた。予想を“裏切った”活躍、あのバリー・ボンズに愛された理由、ポツリ漏らした本音……20年前、現地取材した記者が綴る「シンジョーの真実」。〈全2回の前編/後編〉
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あの日のことは鮮明に覚えている。
2001年8月3日、メジャーリーグで日本人選手が初めて4番に座った。それが「メジャー1年目のメッツ新庄剛志」だというのは、100年後にトリビアクイズにしたら誰も答えられないのでは? と思うほど意外な出来事だった。
新庄4番のあの日「写真、撮っておいて」
敵地アリゾナ州フェニックスでのダイヤモンドバックスとの3連戦初戦。真夏のアリゾナは空気が乾燥して焼けるように暑く、その日も午前中から華氏100度(摂氏約38度)を超える灼熱の一日だった。少し歩いただけで体力が奪われる酷暑の中を、ホテルから15分以上歩いて球場にたどり着く。ぐったりしながらクラブハウスの掲示板に貼られたスタメン表を見たとき、朦朧としていた意識が一瞬にして鮮明になった。
「4番ライト」
ビジターチームの練習が始まる前、スタジアムの電光掲示板に映された両チームスタメン。クラブハウスからグラウンドに勢いよく飛び出してきた新庄は言った。
「写真、撮っておいて」
そして飛び跳ねるように外野のフィールドへ駆けていった。当時のメッツにはマイク・ピアザというリーグ屈指のスラッガーがいたが、米国では4番打者に「最強」のイメージはない。当時のボビー・バレンタイン監督がピアザに4番を打診したら嫌がったため、新庄にお鉢が回ってきたという経緯があった。それでも日本人にとって、4番を打つことは格別だ。結局、気合が入り過ぎ、その試合では4打数無安打、2三振に終わったが、本人にとっても日本人メジャー史にとっても記念すべき日になった。