The CHAMPIONS 私を通りすぎた王者たち。BACK NUMBER
高校1年の井上尚弥に連敗、父は日本王者、本当はボートレーサーになりたかった…世界戦13勝9KO、寺地拳四朗が世界王者になるまで
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph byJIJI PRESS
posted2023/09/19 11:02
9月18日、ヘッキー・ブドラーをTKOで下し防衛に成功した寺地拳四朗。2017年世界王座獲得時のリングネームは「拳四朗」。2019年11月に「寺地拳四朗」に変更した
プロ転向後もボートレーサーの夢を抱いていた
父が会長を務めるBMBジムからプロ転向したのは2014年。この時点でも依然としてボートレーサーへの夢を抱いたままだった。決断したのも、ボクシングで日本チャンピオン、東洋チャンピオンになれば、その肩書が競艇学校入学の狭き門を潜り抜けるために役に立つと聞かされていたからだ。
2014年8月、プロ生活を6回戦でスタート。3戦目、長嶺克則(マナベ)との不敗の新鋭対決を7回TKO勝ちで制し、業界関係者の間で拳四朗の評価は一気に高まった。
プロでは戦法も一新。目を瞠ったのは、アマでは休む間もなく手を出し続けるファイター型だったのに、プロではフットワークを用いて距離を保ちながらポイントを得るボクサー型に変わったこと。寺地自身は「少しずつ変えた」という。3回戦のアマから最長12回戦のプロへの対応だが、これほど極端な変更はあまり例がない。
これが奏功して順調に勝ち進み、日本、東洋太平洋のベルトを次々と獲得。
少しは親孝行できたかな
そして10戦目に初の世界戦に挑む。2017年5月、有明コロシアムで行われた一戦は、メキシコのWBC王者ガニガン・ロペスの老獪な戦法に手こずらされたものの、2-0の判定勝ちで、世界のベルトを獲得。リング上でチャンピオンベルトを父の腰に巻き、「少しは親孝行できたかな」ともらした。
初防衛戦はメキシコの元王者ペドロ・ゲバラにこれも2-0判定勝ち。際どい勝利が続いたこの頃は「短命王者」に終わってもおかしくないという見方が多かったのではないか。しかしその後は明白な勝利が続き、特に前王者ロペスを返り討ちにしたV3戦は一つの転機となるような象徴的な試合だった。初戦で苦戦したロペスに対し、2回にボディーへの右ストレートの一撃で10カウントを聞かせ、観る者を唸らせた。
父が「拳四朗とは相性がいい」と認める存在
「この頃からボクシングが分かるようになった」と拳四朗は言うが、「どんなタイプの相手にも、合わせたり切り換えたりできる対応力の素晴らしさが拳四朗の持ち味」というのは前出の恩師高見の言葉である。