The CHAMPIONS 私を通りすぎた王者たち。BACK NUMBER
高校1年の井上尚弥に連敗、父は日本王者、本当はボートレーサーになりたかった…世界戦13勝9KO、寺地拳四朗が世界王者になるまで
posted2023/09/19 11:02
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph by
JIJI PRESS
※初出は2021年4月1日発売Number1021号掲載、前田衷氏の連載[私を通り過ぎた王者たち]「#81 寺地拳四朗」 肩書き、年齢は掲載当時のもの
今や親子ボクサーは珍しくない。元ボクサーの父親が、息子に夢を託してボクシングのいろはを教えるというのが、よくあるパターン。そして息子が父の果たせなかったチャンピオンの夢を叶える――というのが理想的なサクセス・ストーリーだろう。
これを体現したのが、寺地親子だ。父・寺地永は元日本、東洋太平洋王者。その息子(次男)が現WBC世界ライトフライ級チャンピオンの寺地拳四朗である。
拳四朗が王者となり、父が「現役引退」
これまでこの連載で取り上げてきた日本の世界チャンピオンの中でも、元チャンピオンを父に持つのは拳四朗が初めてである。
よくある親子ボクサーと異なるのは、最初は息子もボクシングをやりたいと思わず、父は父で息子をボクサーにしたいとも考えていなかったことである。
拳四朗が生まれた時、父はまだバリバリの現役だった。ラスト・ファイトが36歳で、この時拳四朗は8歳。父は自分の試合会場に子供を招こうとしなかったし、引退した後も、しばらくは世界の夢を追い続け、カムバックを目指して米国で修行を積んだ。「今日が私の引退記念日。これでやっと現役を引退できる」と明言したのは拳四朗が世界王者になった時である。
寺地家は代々小柄な人が多い家系
ところで、父子が並ぶとその体格差に驚く人も少なくない。父は日本では重量級のライトヘビー級で、一方の拳四朗は最軽量のモスキート級からスタートし、プロではライトフライ級とやはり軽量級である。
今でも鮮明に思い出すのは、1992年に父・永が竹原慎二の持つ日本ミドル級王座に挑戦した一戦。互いに190cm近い均整の取れた肉体がぶつかり合う光景を目にし、日本の重量級に世界と比べても遜色のない偉丈夫が出てきたと感動した覚えがある。
この試合の勝者竹原は世界獲りに向かい、父はやがてライトヘビー級の東洋ベルトを手にし、世界ランキングにも名を連ねた。
その息子が軽量級とは意外だが、父に聞くと、寺地家は代々小柄の人が多く、大男の父は特別だったようである。