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高校1年の井上尚弥に連敗、父は日本王者、本当はボートレーサーになりたかった…世界戦13勝9KO、寺地拳四朗が世界王者になるまで 

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前田衷

前田衷Makoto Maeda

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posted2023/09/19 11:02

高校1年の井上尚弥に連敗、父は日本王者、本当はボートレーサーになりたかった…世界戦13勝9KO、寺地拳四朗が世界王者になるまで<Number Web> photograph by JIJI PRESS

9月18日、ヘッキー・ブドラーをTKOで下し防衛に成功した寺地拳四朗。2017年世界王座獲得時のリングネームは「拳四朗」。2019年11月に「寺地拳四朗」に変更した

京都出身ながら奈良工に進学

 サッカーやテニスといった格闘技以外のスポーツに熱中していた拳四朗が初めて父にボクシングを習ったのは、中学3年の夏。やりたくなったのではなく、必要に迫られたからである。高校進学を前に、勉強に自信のない息子に、父は手っ取り早く「特技」を身につけさせ、高校の推薦をもらおうとしたのである。

 父子の住む城陽市の近くには高校ボクシングの強豪校がふたつある。南京都高校(現京都廣学館)と、奈良工業高校(現奈良朱雀)である。奈良出身の村田諒太は南京都高に入学したが、拳四朗は京都出身ながら、高見公明の指導する奈良工を選んだ。現役時代はロサンゼルス五輪代表にもなった高見は、指導者として何人もの王者を育てた。プロ8戦目で世界スーパーフライ級王者となった名城信男もその教え子にあたる。

競艇学校を受験も不合格

 高校に入るため始めたボクシングを当初「好きになれなかった」という拳四朗。この頃の夢はボートレーサーになることだった。従兄弟(是澤孝宏)がその道に進んでおり、拳四朗も高校、大学と2度競艇学校の入学試験を受験したがいずれも不合格だった。やはり拳四朗にはボクシングの方が向いていたようである。

 自身のボクシングを確立するのに一番影響を受けたのが高見先生だと今でも拳四朗は言う。当時の高見の目に拳四朗はどう映っていたのか。「優しく素直な性格で、負けん気が強かった。教えたことをすぐに吸収する能力があった」という。

井上尚弥と戦った日

 高校3年のインターハイ決勝では1年生にRSCで敗れ、準優勝に甘んじた。「強いという噂は耳にしていた。1年生やし、いけると思ったが……強かった」。その相手の名は井上尚弥。2カ月後の国体準決勝でも井上と対戦し、判定負けを喫する。

 その後関西大学に進み、2013年の国体で初の全国大会優勝を経験している。

 この頃、2学年下で大阪商大の京口紘人とは国体や関西学生リーグ戦で何度も顔を合わせるライバルだった。通算成績は寺地の3勝1敗。何試合かは見ているが、いつも接戦を演じていた。当時は拳四朗、京口が揃ってプロの世界チャンピオンとして活躍するなど想像もできなかった。名城という例外はあっても、「東高西低」の大学リーグで、関西学生リーグの選手が世界を制するのは夢のような話だったのだ。

【次ページ】 プロ転向後もボートレーサーの夢を抱いていた

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