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「父親が酒浸りになって」一家離散の問題児が“J屈指+ブラジル代表ボランチ”に…サンパイオの逆転人生「ドゥンガは大恩人だ」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byHiroaki Sawada

posted2023/07/30 11:00

「父親が酒浸りになって」一家離散の問題児が“J屈指+ブラジル代表ボランチ”に…サンパイオの逆転人生「ドゥンガは大恩人だ」<Number Web> photograph by Hiroaki Sawada

横浜フリューゲルスなどで名ボランチとして君臨したサンパイオ。彼が歩んだ人生は壮絶そのものだった

 父親が酒浸りになって体を壊し、仕事ができなくなって収入が途絶えた。母親の収入も不安定で、食べ物がなくてひもじい思いをしたり、冬でも毛布が買えなくて寒さに震えたり……。とうとう家賃が払えなくなり、住んでいた家を追い出された。父と母は各々の きょうだいの家に転がり込み、子供たちは親戚の家に1人ずつ預けられた。一家6人が離散したんだ。大変なショックを受けたし、とても悲しかった。

 また家族で一緒に住みたい。そのためには、僕がプロ選手になって一家を支えるしかない――。そう思って、がむしゃらに練習に励んだ」

勉強が嫌いな問題児だったんだ

――当時は、どんな少年だったのですか?

「勉強が嫌いで、ボールを蹴ってばかりいたから、周囲の人たちから『この子は将来、ろくな者にならない』と言われていた。それで、ますます反抗的になっていた。でも、僕を引き取ってくれた叔母さんだけが、僕をかばってくれた。『あなたは、本当はとてもいい子なのよ。他人が言うことなんか気にしないで、自分がやりたいことを思い切りやりなさい』 。その言葉が、どれだけ励みになったことか……。彼女の支えがなければ、僕は本当に悪い道へ迷い込んでいたかもしれない」

――そんな問題児だったとは、現在の温厚で誠実なあなたからはとても想像できません。その後、どのようにしてキャリアを切り開いたのですか?

「10歳のとき、サンパウロFCのフットサルチームの入団テストを受けて合格し、練習に通うようになった。5歳上の兄もプロ選手になりたかったようなんだけど、一家のために自分の夢を諦め、16歳で働き始めた。姉も働いて、やっと家賃が払えるようになり、僕が11歳のときにまた家族全員が一緒に住めるようになった。でも、生活はまだ苦しかった。

 14歳の時にサンパウロFCのU-15の入団テストを受けたんだけど、不合格。パルメイラス、コリンチャンス、さらにはナシオナル(市内の小クラブ)も受けたけど、全滅だった。そんな僕を見たリマの推薦で、サントスFCのU-15のテストを受けて合格したんだ。『これでプロ選手になる道が開けた』と思って、とても嬉しかった。でも、選手寮の部屋は全部埋まっていて、入れなかった。引き続きサンパウロに住み、週3回、練習に通った」

バスで往復3時間、サントスとサンパウロを

――でも、サンパウロからサントスFCの練習場までは遠い。バスで往復3時間近くかかります。

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