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“ミスター・アマチュア”杉浦正則が語る3度の五輪とWBC「ダルビッシュ君が初日から合流したのは大きかった」<野球日本代表のDNA>
posted2023/07/26 17:00
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
Naoya Sanuki
現在発売中のNumber1077号掲載の[杉浦正則が見た3度の五輪]「勝利のDNAは常に語り継がれる」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます】
日本の世界一は甲子園で知った。
「WBCの決勝は春のセンバツの真っ最中で、僕はテレビの解説をしていました。試合の流れとまったく関係ないところで突然、スタンドがうわーっと沸いたのでなんだろうと思ったら、みなさん、優勝が決まったことをスマホで知ったみたいですね」
バルセロナ、アトランタ、シドニーとオリンピックで3度も日の丸を背負った“ミスター・アマチュア”こと杉浦正則は、今年の日本代表をこんなふうに見ていた。
「寄せ集めのチームを短期間にまとめるのは難しいんです。だからこそ『この人の言うことなら』と思える人が選手の中にいないとチームはまとまらない。そういう意味でダルビッシュ(有)君が初日からチームに合流したことは大きかったと思います」
アマチュアの選手たちが日の丸を背負って国際大会を戦っていた時代、そのチームは『全日本』と呼ばれていた。そして杉浦が想いを寄せたかつての全日本は、決して寄せ集めのチームではなかった。4年に一度のオリンピックへ向けて、4年かけて本気でチームを作っていたからだ。
合宿を繰り返し、選手をふるいにかける。長い時間をかけて熟成させた全日本は「メンバーに残った人、途中で落ちた人の想いが詰まったチーム」(杉浦)だった。とりわけバルセロナ五輪を戦って銅メダルを獲得した全日本が、そういうチームだった。
「あのときのチームは大人のチームでした。当時の山中正竹監督が『このチームはバルセロナで金メダルを獲るチームだ』とミーティングで断言して、その方針のもとでみんなが目標を見据えることでしっかりまとまっていました。コアになる選手たちが何人かいて、選手が入れ替わってもその中心となる選手がチームの方針をしっかりと発信して共有していく。むしろ選手の想いを監督が汲んでくれたことさえありました」
主将が「西山を外さないで欲しい」と山中監督に直訴
象徴的だったのは、バルセロナへ出発する直前の最終合宿でのエピソードだ。
このとき、山中監督はある決断を下そうとしていた。それは右ヒジを痛めたピッチャーの西山一宇をメンバーから外すことだった。主将を務めていたキャッチャーの高見泰範は選手の総意として「西山を外さないで欲しい」と山中監督に直訴した。オリンピックの登録メンバーは20名、うちピッチャーは7名だ。予選リーグは総当たりの7試合を8日間で戦い、中1日ですぐに準決勝、決勝が控える過酷な日程だった。ピッチャーが1人減るダメージは計り知れない。
それでも戦力にならない西山を置いておく理由は、選手を入れ替えることで長い時間をかけてまとまってきたチームにもたらすデメリットを危惧したからだ。それほどこのチームは結束していたのである。高見の直訴を杉浦は心震える想いで見つめていた。