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「一般家庭に比べたら変わってる。でも…」千代の富士の息子が告白…大横綱が過ごした“家族の時間”「さりげない愛情を感じていました」
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph by提供:秋元剛
posted2023/07/28 11:00
幼い頃の剛さんと千代の富士。多忙を極める日々の中で、父は“家族の時間”も大切にしていたという
「家族だけの時間を取る、ということがすごく難しかった」
秋元さんが5歳になる1991年5月、千代の富士は現役を引退した。九重親方となり、部屋持ちの師匠となった。その部屋の上が秋元家の住居となった。
「普通に“パパ、お父さん“と呼んでましたね。自分たち家族にとっては親方でも師匠でもないですから(笑)」
自分で相撲を取ることはなかったが、秋元さんは力士と遊んでもらうこともあり、相撲は生活と分かち難くいつもそばにあった。父もそうだった。優しいお父さんの顔をしていながら、いつも強い千代の富士としての顔もまとっていた。
「家族だけの時間を取る、ということがすごく難しかったと思います。家族で食事に出かけるとなっても弟子も一緒に同席していたり。相撲のスケジュールがベースにあり、そこに自分たちが合わせていくみたいなイメージでしょうか」
家族旅行のときでもたくさんのお相撲さんや後援会関係者などがついてくる。どうしてだろうと思う。それは見方を変えれば、部屋旅行に家族が一緒に参加しているだけなのだった。
家で食事をするときは母、姉、妹との4人で、父が一緒に食卓を囲むことは少なかった。年3回の地方場所の期間は当然家にいなかったし、親方として巡業に出ることもある。東京場所の前後でも、さまざまな関係者との付き合いで食事どきに家にいることは多くなかった。
息子が感じた「父のさりげない愛情」
ただ、それが父への反発を招いたかと言えばそうはならなかった。
”わたしは結婚してプラスになり、子どもが生まれてさらにプラスになった。そんな家族を誇りに思っている”
”わたしは東京を留守にしているときは毎日、家に電話をかけている”(『ウルフと呼ばれた男』/読売新聞社)
自著で千代の富士がそう書いている通り、そんな父の愛を子どもたちも感じていたようだ。
秋元さんは言う。
「それはごく一般の家庭に比べたら変わっている部分はもちろんあると思います。でも、あまり一緒にいられないからこそなのか、父は家族との時間をとても大事にしていました。誰かの誕生日や記念日など、そういう時間は必ず作るように意識していたように思います」