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「あの男、甲子園だけ笑うんよ」上甲正典の宿敵、明徳義塾・馬淵史郎が明かす“上甲スマイル”の真実「笑顔なんて見たことがない。鬼。鬼ですよ」
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/07/19 11:00
上甲正典の代名詞とも言える「上甲スマイル」。その実像を肝胆相照らす仲だった老将と教え子たちの証言で振り返る
どちらも火の玉の勝負に身を焦がし、互いに敬い、学び合い、いつしか深い同志愛で結ばれた。2004年のセンバツ準決勝でぶつかる(済美7-6明徳義塾)前夜にさえサウナと焼き肉をともにした仲なのだ。
「もう出てこないでしょうね。上甲さんと僕の関係は。あの人も野球はタヌキでしたけどね。そりゃあ八方美人じゃ勝負事、勝てません。僕はそう思います。誰にでも好かれる人はなかなか勝てないですよ」
学齢なら8年下、ただし師弟ではなく、好敵手であり肝胆相照らす友なのだった。
あらためて上甲監督とは?
「頭がいい。一芸は万芸に通ず。なんでもできる人でしたね。ゴルフも上手やった。字も達筆。話がまたうまい。博才もあったかもわかりません。追い越そうと思ってやってきましたけどね。なかなか追いつけずにいます」
実家に上甲薬局を開設
上甲正典は現在の宇和島市三間町に生まれた。宇和島東高校から龍谷大学へ進み、野球部ではリーグ通算8試合出場というから名選手ではなさそうだ。卒業後、京都の金属メーカーを経て、愛媛・松山市が本拠の医薬品卸売り企業に就職、営業の傍ら、独学で勉強に励んで薬種商の資格を取得、実家の敷地に「上甲薬局」を開いた。監督を務めてからは、もっぱら愛妻に店を託して、打った打たれたの道を突き進んだ。
馬淵史郎は愛媛の八幡浜生まれ。上甲と同じ南予地方育ちである。県立三瓶高校-拓殖大学と進学、学窓を出ると、金属パイプやプロパンガスの関連企業、野球部のある警備会社などで仕事に就き、やがて縁を得て明徳義塾に招かれた。現在は社会科の教職だが、こちらも「外」の世界にいっときは身を浸した。