ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
驚異の「身長223cm、体重250kg」 アントニオ猪木が“血まみれの大巨人”にナックルを叩き込み…名勝負はなぜ生まれた?「ただの超巨漢レスラーではない」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2023/06/23 17:03
格闘技世界一決定戦をはじめ、数々の名勝負を繰り広げたアントニオ猪木とアンドレ・ザ・ジャイアント
アンドレ・ザ・ジャイアントの真の偉大さ
その後、アンドレは’87年3月に当時の北米観客動員新記録となる9万人以上の観客を動員したプロレス史上空前のビッグイベント『レッスルマニア3』でハルク・ホーガンと対戦し、初のフォール負け。この一戦を機に、ホーガンは世界で最も有名なレスラーにのし上がり、主催団体のWWFは現在まで続く世界最大のプロレス団体となるきっかけとなった。アンドレは自らがフォール負けし“ノー・フォール伝説”に終止符を打つことで、現代アメリカンプロレスの礎となったのだ。
アントニオ猪木とハルク・ホーガンという日米最大のスーパースターと、日本プロレス史上最強外国人レスラーのスタン・ハンセンが、さらにスターダムに駆け上がるきっかけには、アンドレ・ザ・ジャイアントの存在があった。
単に自分が活躍するだけでなく、対戦相手のスーパースターをさらに光り輝かせブレイクさせることができたプロ中のプロ。“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントの真の偉大さは、そこにあったのである。
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