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驚異の「身長223cm、体重250kg」 アントニオ猪木が“血まみれの大巨人”にナックルを叩き込み…名勝負はなぜ生まれた?「ただの超巨漢レスラーではない」 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2023/06/23 17:03

驚異の「身長223cm、体重250kg」 アントニオ猪木が“血まみれの大巨人”にナックルを叩き込み…名勝負はなぜ生まれた?「ただの超巨漢レスラーではない」<Number Web> photograph by AFLO

格闘技世界一決定戦をはじめ、数々の名勝負を繰り広げたアントニオ猪木とアンドレ・ザ・ジャイアント

ハンセンが大巨人を投げた…伝説の一戦

 そして、日本におけるアンドレの名勝負として一番に挙がるのは、なんと言っても’81年9月23日、田園コロシアムで行われたスタン・ハンセンとの伝説的な一戦だ。

 前年、猪木からNWFヘビー王座も奪取し人気絶頂のハンセンを無敵の大巨人アンドレが迎え撃った外国人頂上対決。試合はゴング前に突進したハンセンをアンドレが18文キックで迎撃して始まり、ド迫力の真っ向勝負を展開。6分すぎにハンセンがアンドレをボディスラムで見事に投げ切り、実況の古舘伊知郎が「世界で5人目! 世界で5人目!」と絶叫したシーンは語り草だ。

 当時、アンドレは世界中で誰からもフォール負けを喫したことがない“ノー・フォール伝説”を持っており、アンドレの巨体をボディスラムで投げ切ることが勝利の代わりとなる勲章となっていた。ハンセンのボディスラムは、その世界で5人目の快挙ということだ。

 この名場面から場外乱闘となり結果は両者リングアウトの引き分け。しかしこれで終わらず両者の要望で延長戦に突入。今度は18文キックをかわしたハンセンが必殺ウエスタンラリアートを叩き込むと、逆上したアンドレが右腕にサポーターを巻き、それを止めようとしたレフェリーのミスター高橋にラリアットを叩き込み反則負け。80年代前半の新日ブーム絶頂期を象徴する大興奮の名勝負だった。

アンドレが自ら締めくくった「大巨人伝説」

 この一戦で日本におけるナンバーワン外国人レスラーの地位を確固たるものとしたハンセンは、のちに「あれだけの試合ができたのは、アンドレが自分の力を引き出してくれたおかげ」「アンドレは私にとって恩人のひとりだ」と語っている。

 ’86年6月17日、愛知県体育館での猪木戦で、アンドレは猪木の変形腕固めで初のギブアップ負け。このシリーズを最後にアンドレは、新日本とWWFの提携解消にともない新日本マットに別れを告げた。アンドレは、長年ライバル抗争を展開した猪木に「アンドレから初のギブアップを奪った男」という勲章を置き土産として、新日本における大巨人伝説を締め括ったのである。

【次ページ】 アンドレ・ザ・ジャイアントの真の偉大さ

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