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「骨肉腫があって、車いすテニスができている」最年少17歳で四大大会V、小田凱人が「病気を乗り越えた」と言わない理由「病気はあくまで人生の分岐点」

posted2023/06/13 11:01

 
「骨肉腫があって、車いすテニスができている」最年少17歳で四大大会V、小田凱人が「病気を乗り越えた」と言わない理由「病気はあくまで人生の分岐点」<Number Web> photograph by AFP=JIJI PRESS

プロ選手が参加できるようになった1968年のオープン化以降、四大大会男子シングルスで史上最年少の17歳1か月で優勝した小田凱人

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秋山英宏

秋山英宏Hidehiro Akiyama

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AFP=JIJI PRESS

「これから車いすテニス界は彼を中心に回っていく」

 1月に現役を引退した国枝慎吾は、昨年10月に行われた楽天ジャパンオープン車いす部門の決勝で小田凱人(ときと)と対戦、6-3、2-6、7-6で薄氷の勝利を得た。冒頭に記したのは、国枝の試合後の談話だ。

国枝が「いつかやられるかもな」

 このとき国枝は、生々しい言葉で小田に感じた脅威を言い表している。

「彼がデビューしてから、いつかやられるかもな、という思いはずっとあった。今日はその日になりそうだった。あ、今日か、というのが何度も(頭を)よぎった」

 当時、国枝の頭の片隅には引退の2文字があったはずだ。7月にウィンブルドンで生涯ゴールデンスラム(四大大会とパラリンピックのシングルス全制覇)を達成、モチベーションも薄れ、引退が現実味を帯びてきた。後継者と目される小田との直接対決でその成長を体感し、「車いすテニス界は彼を中心に回っていく」という言葉でバトンを託したのだ。

全豪の決勝で完敗していた相手との再戦だった

 将来性豊かな選手であるのは明らかだったが、国枝の予言からわずか8カ月後、17歳になったばかりの小田が世界の頂点に立つとは誰が想像しただろう。

 フランス・パリ郊外のローランギャロスで行われた四大大会、全仏オープンで、当時世界ランキング2位の小田は、決勝で1位のアルフィー・ヒューエット(イギリス)をストレートで破り、四大大会初優勝を果たした。この優勝により、世界ランキングでヒューエットを退けて初めて1位の座についた。

 ヒューエットはコートのあらゆるポジションからウィナーを奪う攻撃力の持ち主だが、小田は先制攻撃とショットの威力で圧倒した。なかでもヒューエットのサーブに襲いかかった攻撃的なリターンと、一撃で仕留めるバックハンドのクロスが出色だった。

 この相手には今年の全豪の決勝で完敗していた。全豪の車いす部門は1月末に開幕したが、その直前に国枝が引退を表明した。小田は大会中、「国枝選手が引退してから初めての大会ということで、勝つべき人は僕だって気持ちで試合をしていた」「自分が頑張らないと、しっかりとつなげていかないとだめだなと責任を強く感じる」と語り、後継者の自覚を見せた。だが、ヒューエットには歯が立たず、「自分が出せることをすべて出したが、相手が僕より強かった。実力不足」と唇を噛んだ。しかし、全仏では四大大会のシングルスで7度優勝のヒューエットにパワー負けしなかった。

世界ランク1位は「めちゃめちゃ意識している」

 有言実行の優勝だ。今大会の序盤、小田は四大大会初優勝とランキング1位への思いを口にしていた。

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