NumberPREMIER ExBACK NUMBER
野球を変えた阪神・岡田彰布監督の最高傑作「JFK」誕生秘話…ノムさんのぼやき「6回で攻撃が終わりや」「いつからルール変わった?」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2023/06/07 17:00
2005年の阪神優勝の立役者となった黄金のリリーフ陣「JFK」(左から)ジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之
ふと気づいた。この日は登板順が普段と違う。左の強打者、福留孝介から始まる7回、真っ先にウィリアムスを投入。藤川、久保田へと繋いでいたのだ。
松岡は意を決して部員に伝えた。
「JFKでいこう。今日はこの順で投げてるから、このままの順番でいける」
かつて上司に教わったことにも後押しされた。「見出しは思いつくことよりも、出すタイミングだ」。迷っている時間はなかった。急いで3つのアルファベットを組み込んでいった。
7月11日。
イチローら大リーグの記事に埋もれそうになりながらも「JFK」が産声を上げた。
「いつからルールが変わったんや」ノムさん流の褒め言葉
阪神の投手コーチとして'05年にリリーフ陣を指導した中西清起は、15年以上も前に読んだスポーツ新聞の記事を、いまも覚えている。6月の交流戦。敵将だった楽天の野村克也がボヤく談話が目に留まった。
『いつからルールが変わったんや。阪神戦だけ、6回で攻撃が終わりや。向こうは9イニング、攻撃があるけど、ウチは6イニングしか攻撃がない』
中西にとって、最高の褒め言葉だった。7回以降、剛腕トリオが投げれば、阪神は負けない。この判で押したような必勝パターンは交流戦に入り、拍車がかかった。
野球を6回で終わらせる。
夏場からは連日のように登場し、優勝に導いた「JFK」は岡田阪神の最高傑作になった。7回以降の3イニングを3人のリリーバーで抑える継投策は「平成プロ野球の革命」「野球を変えた」と激賞された。
「俺とか3イニング投げたよ。7、8、9回。『1人JFK』や(笑)。2回とかイニングまたぎは普通やったからな」
中西は豪快に笑いながら取材に答えた。'85年、ストッパーの1人として奮闘し、日本一に貢献した。当時も先発、救援の役割こそ分かれていたが、ロングリリーフは当たり前。まだ分業制が確立されていなかった時代に現役生活を過ごした中西にとって、隔世の感があった。