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「阪神で覚醒」大竹耕太郎、「移籍後の号泣」田中正義…“元ソフトバンク選手”なぜ移籍後に活躍? 成功組に“ある共通点”があった
posted2023/05/26 11:01
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
KYODO
チャンスに飢えていた「元ソフトバンク」の選手たちが新天地で躍動している。
「現役ドラフト組」大竹耕太郎(→阪神)
昨年12月に初めて行われた現役ドラフトで阪神に移籍した大竹耕太郎は5月13日、悪天候の甲子園球場で行われたDeNA戦に先発し6回4安打1失点で勝利投手となり、その時点で両リーグ最多の5勝目を挙げた。開幕からの5戦5勝は、長い阪神球団の歴史の中で3人目の快挙だった。
「絶対に勝ちたいという気持ちでした。雨はしょうがない。割り切って、逆に元気が出るくらいの気持ちでいきました」
雨にも負けず、堂々たるマウンドさばき。まさしくこれが本来の大竹の姿であり、持ち味でもある。
さらに同20日の広島戦(甲子園)は勝ち負けつかず連続白星こそ途切れたが、7回無失点の立派な投球。チームは1x-0のサヨナラ勝利を決めた。わずかに規定投球回に届いていないものの防御率は驚異の0.48とした。
ホークス時代は苦悩の日々
ソフトバンクには17年育成ドラフト4位で早稲田大学から入団。1年目途中に支配下登録されると翌年も先発ローテも担い最初の2年間で8勝をマークした。その頃もやはりマウンドでは堂々とした立ち振る舞いだった。
しかし、3年目以降は大半がファーム暮らし。20年は二軍のウエスタンで最多勝、防御率1位、最高勝率の「投手三冠」。21年も同リーグ2位で8勝したが、それでも一軍が遠かったのはソフトバンク先発陣の層の厚さに阻まれたともいえるし、パ・リーグの“パワー系の野球”に合致しなかったことも理由だったと思われる。近年は150キロ台中盤を投げる投手も珍しくない中、大竹のストレートは140キロそこそこ。緩急やコースの出し入れを武器とするスタイルはパ・リーグでは評価されにくかった。
それでも二軍の好結果からローテの谷間で時々一軍先発機会を得た。だが、一発勝負の重圧が本来の良さを邪魔した。
結果を求めすぎることで、人間は慎重になる。余計な力も入る。自慢の制球力が乱れ、失点につながる。そして翌日には二軍落ち。そんな憂き目が何度もあった。