熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「子供が礼儀正しく育ったよ」名手ブラジル人DFと妻が感謝する“Jリーグと日本愛”「イハラはクレバー、ナカヤマは非常に危険で…」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byEtsuo Hara/Getty Images
posted2023/05/20 11:02
1994年1月のJリーグチャンピオンシップでのペレイラ。当時のJリーガーとマッチアップして、何を感じていたのだろうか
「どこも強化を進めており、なかなか手強かった。日本のチームの戦い方を知ることができて、有益だった」
――当時の日本のフットボールのレベルをどう思いましたか?
「選手の技術レベルは悪くなかったが、ポジショニングやフィジカル能力に問題がある選手がいた。ブラジルのプロ選手なら誰もが持ち合わせているマリシア(ずる賢さ)も不足していた」
35歳松木監督のスタイルはどう映った?
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――ペペ監督は、1992年末に退団。1993年は、当時35歳の松木安太郎監督とオランダ人ヘッドコーチ(フランツ・ファン・バルコム)の体制で、2人のオランダ人選手(ヘニー・マイヤーとイェーネ・ハンセン)も加入しました。前年と比べて戦術的な変化がありましたか?
「クラブはオランダ色を取り入れようと考えたようだけど、ラモスが猛反対。他の主力選手も、ラモスに同調した。結果的に、チームは前年の戦術を踏襲していた」
――そして、5月15日を迎えます。開幕前、どんな気持ちで毎日を過ごしていたのですか?
「プロリーグが始まる年に、しかも最初の試合でプレーするのはなかなかできない経験だ。とても幸運だと思った。その一方で、我々のホームゲームでもあり、絶対に負けられない。試合が近づくにつれ、緊張感が高まってきた」
マイヤーの初ゴールの起点はペレイラだった
――Jリーグ開幕はメディアでも大きく取り上げられ、社会現象となりました。ヴェルディ川崎対横浜マリノスの開幕戦のチケットは完売。旧・国立競技場を埋めた約6万人が熱狂するなかで、午後7時29分、試合が始まります。前半19分、あなたが自陣でボールを持ち、左足で左サイドのマイヤーへ絶妙のパスを送りました。あのとき考えていたことは?
「最初はドリブルで敵陣へ入ろうと思ったが、マリノスの選手たちが僕を警戒してピッチ中央へ集まった。その結果、マイヤーが左サイドでフリーになっているのが見えたので、彼へのパスを選択した。思い通りに蹴れた」
――元アタッカーならではの見事なパスで、マイヤーがフリーでミドルシュート。これがゴール右上隅へ飛び込んだ。ただ、現在のプロの試合ではアタッカーをあの位置でフリーにすることは考えられない。選手たちのポジショニングにミスがあったのでしょうか?
「そういうことだろうね」
――後半開始早々、マリノスが左CKを得て、木村和司がゴール前へ蹴る振りをして左サイドのエバートンへ。フリーとなっていた彼が右足でミドルシュートを放ち、これが右上隅に決まった。このとき、GK菊池(新吉)はゴールマウスを離れて前へ出ていた。これも現在では考えられないことですが、何があったのでしょうか?