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「子供が礼儀正しく育ったよ」名手ブラジル人DFと妻が感謝する“Jリーグと日本愛”「イハラはクレバー、ナカヤマは非常に危険で…」 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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photograph byEtsuo Hara/Getty Images

posted2023/05/20 11:02

「子供が礼儀正しく育ったよ」名手ブラジル人DFと妻が感謝する“Jリーグと日本愛”「イハラはクレバー、ナカヤマは非常に危険で…」<Number Web> photograph by Etsuo Hara/Getty Images

1994年1月のJリーグチャンピオンシップでのペレイラ。当時のJリーガーとマッチアップして、何を感じていたのだろうか

「おそらく、ゴール前へクロスが入ってくると予想していたんじゃないかな」

――後半14分、マリノスが2点目を奪います。CB井原正巳からの縦パスを受けた木村が頭で落とし、それを拾った水沼貴史がドリブルで進んでシュート。これをGK菊池が弾き、それがあなたの胸に当たってゴール前にいたラモン・ディアスの前へこぼれ、ディアスが押し込んだ。あなたはゴール前で突っ伏し、頭の辺りへ跳ね返ってきたボールを手で払いのけました。あのとき思ったことは?

「『ああ、やっちまった。えらいことになった……』。ショックだった。それと同時に、『これから攻めて、何とか点を取らなければ』と考えた」

敗戦後、ラモスが怒り狂っていた

――木村の突破を許したのはまずかったものの、GKが弾いたボールが当たったのは不可抗力だったのでは?

「そうかもしれないが、逆転を許したのは事実。責任を感じた」

――その後、マリノスは守備を固め、ヴェルディが攻め続けた。

「僕たちは懸命に攻めたが、イハラを中心とするマリノスの守備は固かった」(注:マリノスが2-1で記念すべき開幕戦を制した)

――試合後、ロッカールームでは誰が何を話したのでしょうか?

「『絶対に勝たなければならない試合だった』とラモスが怒り狂っていた。ハシラタニ(柱谷哲二)は、『切り替えて、次の試合は絶対に勝とう』と冷静に話していた」

――4日後のジェフ市原戦も敗れたが、22日のサンフレッチェ広島戦で初勝利。前期は12勝6敗で、鹿島アントラーズに次いで2位。後期は16勝2敗という見事な成績で1位。チャンピオンシップで鹿島を1勝1分で下し、Jリーグの初代王者となります。

「前期は少し苦しんだが、後期に盛り返し、チャンピオンシップでもいい試合ができた。チームが優勝し、自分もベストイレブンに選ばれて、最高に嬉しかった」

MVP受賞を想像するなんて全然…(笑)

――翌年は、松木監督とブラジル人のネルシーニョ・コーチの体制。戦術面での変化は?

「主にネルシーニョが戦術練習を指揮した。オランダ人選手が抜け、ハシラタニがCBからボランチにコンバートされ、キタザワとのダブルボランチでラモスの守備の負担を減らした。さらに93年後期から加入したビスマルクが、この年さらに大きな戦力となった」

――この年はジュビロ磐田とベルマーレ平塚が加わって12チームになったわけですが、前期は14勝8敗で4位に留まった。その理由は?

「プレシーズンの合宿で雨が多く、十分な練習ができなかった。そのため、調整が十分ではなかった」

――後期は、17勝5敗で1位。チャンピオンシップでサンフレッチェ広島を倒して連覇を達成。あなたは、2年連続のベストイレブン、さらにはMVPに選ばれました。自分がMVPに輝くと予想していましたか?

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