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高橋大輔は“2度目の現役生活”で「自分で自分をほめてあげられるようになった」 本人が明かした1度目の「嫌な気持ちでの引退」からの変化

posted2023/05/05 17:01

 
高橋大輔は“2度目の現役生活”で「自分で自分をほめてあげられるようになった」 本人が明かした1度目の「嫌な気持ちでの引退」からの変化<Number Web> photograph by Asami Enomoto

2人そろって引退会見をおこなった村元哉中・高橋大輔の“かなだい”ペア。高橋から語られた引退の理由は長年苦しんだ「右膝のケガ」だった

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Asami Enomoto

 5月1日、村元哉中と高橋大輔が競技生活を終えることを発表し、その翌日、2人は記者会見を開いた(全2回のうち#2/前回は#1へ)。

 引退の理由として高橋が語ったのは、右膝の状態だった。

僕自身の努力ではどうしようもできない

「僕自身の右膝が限界を感じたというところで、パフォーマンスする上ではまだ限界を感じていないんですけど、競技レベルでパフォーマンスをするといったところで練習を積んでいく(中で)、特に今シーズン、レベルをとる上での技術的な部分で、僕自身の努力ではどうしようもできないところに来てしまって。それ以上を求めてやっていきたいんですけど、そこに身体がついていかないというところがまず、いちばん大きな理由です」

 さらに状態を詳しく語った。

「けっこうアイスダンスって、特に下にしゃがんで膝をついたりすることがシングルのときより多くて、正直、右の膝は下にしゃがむときに力が抜けちゃったり、立ち上がるときに力が抜けちゃったりするので、ほとんどこっちでしゃがむことができなくて左足でしゃがむことが多かったです」

 練習がままならない日も珍しくなかったという。思い描いていたように練習できず、それでもどう練習するか、試合に臨んで行くのかを考えながら取り組んだことを明かしている。

何度も訪れた“右膝の怪我”という試練

 ただ、その表情は1度目の引退を決めた時とは対照的だった。

 高橋は、シングルで活躍していた頃も右膝の怪我と向き合っていた。

 2008年10月、練習中の負傷で、右膝前十字靭帯と半月板損傷という診断結果を受ける。競技人生を揺るがす大怪我だった。そこから手術とリハビリを経て復帰。2010年バンクーバー五輪で日本男子史上初の表彰台となる銅メダルを獲得し、世界選手権でも日本男子初となる優勝を果たした。

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