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「外見で評価されるのがキツかった」実業団→プロ転向の個性派ランナー下門美春が振り返る現役生活「実業団はお姫様状態。でもプロは…」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2023/05/04 17:00
2月に現役生活に終止符を打った長距離ランナーの下門美春さん。途中陸上から離れ、プロランナーにもなった彼女に女子陸上界はどう映っていたのか
もう陸上が嫌いになっちゃいました
だが、すぐにやめられない理由があった。毎日張り詰めた状況で練習をこなしていたが、東日本大震災の影響で実家の栃木で暮らす祖父が亡くなった。その祖父の故郷だった宮城で行われる全日本実業団駅伝でのメンバー入りを誓い、優勝を目標とした。そうしてタイムは向上し、5000mで15分48秒を出したが、心が限界だった。4年目に入る前に退社をするが、周囲からは「まだこれからなのに」と言われた。
「もう陸上が嫌いになっちゃいました。見るのもいやでした」
フリーターになって上野の土産屋、夜は焼き肉屋でバイトした。深夜に食事をし、飲みに行くことが増え、一切走らなかったので実業団時代、45キロだった体重は60キロに増えた。久しぶりに会う友人には「誰?」と驚かれた。
そんなんで、給料もらえるんやからええなぁ
しかし、退社して1年後、転機が訪れる。
地元で中学生に駅伝を教えるようになり、自分から陸上に身を寄せて行った。次第に「もっとやれたのではないか」と思うようになり、覚悟を持って復帰した。
2014年3月、しまむらに入社したが、2年間、離れた代償は大きく、15キロ増えた体では朝、キロ4分半の10キロ走にもついていけなかった。入社してすぐの奄美合宿で先輩に「そんなんで、給料もらえるんやからええなぁ」と言われた。
「それから必死でしたね。ジョグとバイクで落とし、秋には16分を切れるぐらいまで走れるようになりました。マラソンは、2016年に青梅マラソン(30キロ)に出たんです。そこで優勝してボストンマラソンに出た時、日本のレースとは違ってお祭りみたいな感じで日本との差に愕然としました。楽しむ感じが伝わって来て、マラソンをやってみたいって思うようになったんです」
それから1年後、2017年の名古屋ウィメンズで2時間27分54秒の自己ベストを出し、マラソンに集中するためニトリに移籍した。
茶髪でネイルしてもピアスしても走れる
しかし、1年足らずで、プロに転向した。