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堂安律「セレッソのオファーを1秒で蹴ってやる」小4での決心を実現も…挫折と号泣の“ガンバ中学生時代”「リツ、おっさんみたいやな」
text by
堂安律Ritsu Doan
photograph byKiichi Matsumoto/JMPA
posted2023/04/23 11:00
カタールW杯で鮮烈な活躍を見せた堂安律。小学~中学時代、どんなサッカー人生を送っていた?
ジュニアユース時代に指導してもらっていたカモさん(鴨川幸司)から、「おっさんみたいやな。昔の10番みたいなプレースタイルになるぞ」と言われた。
「おまえは天才とちゃうぞ。満足すんな」「貴史や陽介は中1のころから中3の試合で活躍してたんやぞ」という言葉は、当時、俺の心に深く刺ささった。
「どうしよう。このままじゃダメだ」と思い悩んでいたとき、「おまえはドリブラーやから」とカモさんが俺をサイドハーフにコンバートした。そこから、ドリブルを極めようという意識が強くなり、中1の秋には、中3が中心のトップチームに上がるようになった。
中1の冬、人生で初めて号泣した経緯とは
ところが、中1の冬、高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会で、人生初の骨折をした。手応えをつかみかけた時期の思わぬ事態に、俺は思わず病院で号泣した。あんなに泣いたのは人生で初めてだった。
オカンも心配して、「どうやって声をかけたらいいかわからない」とトレーナーに相談していたらしい。その後も、カモさんは我慢して俺を使い続けてくれた。中3のころ、ほかにやる選手がいなかったから俺はFWになった。このときに感じたシュートや裏抜けの大切さは、プロになってからプレースタイルを確立するうえで、ものすごく大きな意味を持っていた。
カモさんにはよく怒られたけど、しっかりと考えて意見を言えば、それを聞き入れてくれる指導者だった。スペイン遠征でチームメイトがボールをなくし、連帯責任で全員が罰走することになったとき、俺は納得がいかず、「カモさん、この大会にいいコンディションで臨まないと俺らは絶対に後悔する。帰ってから、その倍は走るから許してください」と思いを伝えた。カモさんは「おお、考えるわ」と素っ気なかったけど、認めてくれた。
そのスペイン遠征で俺はバルセロナ相手に決勝ゴールを決めるなど、結果を出した。結局、帰国してからも罰走はなかった。カモさんはきっと、俺たちが自分たちで考えて判断したことを評価してくれたんだと思う。
<#2につづく>
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