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「辰吉のボクシングは小学生レベル」「薬師寺にはジャブだけで勝てる」29年前“伝説の薬師寺vs辰吉”の異常な雰囲気、「辰吉ドーピング疑惑」報道まで… 

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/04/06 11:03

「辰吉のボクシングは小学生レベル」「薬師寺にはジャブだけで勝てる」29年前“伝説の薬師寺vs辰吉”の異常な雰囲気、「辰吉ドーピング疑惑」報道まで…<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1994年12月4日、伝説の「薬師寺保栄対辰吉丈一郎」。中部で視聴率約52%、関東でも約40%を記録した歴史的な一戦だった

 後のことも記しておく。勝利を収めた薬師寺保栄は「辰吉に勝った男」として一躍時の人となった。ニュースやスポーツ番組はもちろん、テレビのバラエティ番組にも頻繁に登場し、その知名度は全国区となった。

 また、おそらく、辰吉戦で得たファイトマネーを元手に会社を起こし、事業を始めてもいる。大金を得た世界王者がサイドビジネスに乗り出すのは、輪島功一の団子屋、具志堅用高の沖縄料理屋などよく聞く話ではあるが、薬師寺保栄の場合はファミコンソフトの販売店だった。メディアの露出に加え「事業に大忙し」といった様子が報じられると、他人事ながらどことなく不安に感じたものである。

 辰吉戦から4カ月後の4月2日、同じく名古屋レインボーホールにて、WBC世界バンタム級9位のクアテモク・ゴメス(メキシコ)の挑戦を退け4度目の王座防衛をはたすが、辰吉戦が嘘のような迫力に欠ける試合内容で、モチベーションの低下は誰の目にも明らかだった。

 落日は意外なほど早くにやって来た。7月30日、WBC世界バンタム級1位のウェイン・マッカラー(アイルランド)と指名試合を行い、中盤のポイントを奪われ、2―1で敗戦。世界王座をあっさり明け渡し、そのまま現役を引退してしまう。辰吉戦で燃え尽きたのは疑いようがなかった。

「あれは双子の弟が負けた」奇跡の王座奪還

 一方の辰吉丈一郎はというと、試合後も波乱万丈である。「負けたら引退」の特例に従って統一王座決定戦に臨み、敗戦を喫した辰吉を誰もが「現役引退」と踏んだ。大阪帝拳ジム会長の吉井清ですら「そりゃ、もう引退でしょう。引退させます」と広言して憚らなかった。

 しかし、現役続行を宣言したものだから世間は驚いた。思えば「一度でも負けたら引退する」と公約に掲げながら、ビクトル・ラバナレスに最初に敗れたときも「あれは双子の弟が負けた」としらを切りとおすくらいだから、前言を翻すなど朝飯前なのかもしれず「往生際が悪い」といった批判もどこ吹く風だった。

 8月と11月に、ラスベガスでノンタイトル戦2試合をこなすと、JBCは「世界戦に限り国内での試合を認める」さらに「世界戦に準ずる試合も認める」と長年のルールを改正。堂々と日本国内のリングに舞い戻ったのである。既成事実の強さと言うほかない。

 そして、1997年11月22日、“無敗の最強王者”と畏怖されたWBC世界バンタム級王者・シリモンコン・ナコントンパークビュー(タイ)を7RTKOで破り、奇跡の王座奪還をはたしている。薬師寺戦からちょうど3年後、同じベルトを再び腰に巻くなど、誰が想像しただろうか。

「1000万円の赤字」がトントンに

 さらなる後日談もある。筆者は2年ほど前、興行の世界に通じた人物から「薬師寺対辰吉」の収支の実情について聞いた。中篇でも述べたように、薬師寺陣営の松田ジムは「赤字上等」で興行権を買い取ったと思われていたが「実際はトントンになった」という。小耳に挟んだその内訳を最後に列記しておく。

【次ページ】 「1000万円の赤字」がトントンに

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