ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「前田日明vs“霊長類最強”カレリン」はいかに実現したのか? 引退試合につながった、前田とリングス戦士の深い絆「心と心で話しているか、って」
posted2023/03/31 11:03
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
プロの世界とは無縁だった旧ソ連の選手たちと前田はどのようにして関係を築いていったのか。そして1998年、自身の引退試合でロシアの国民的英雄であるレスリング五輪3連覇のアレキサンダー・カレリンとの一戦をどのようにして実現させたのかを語ってもらった。《NumberWebインタビュー第3回/#1、#2からつづく》
◆◆◆
――前田さんがリングスを立ち上げた後、旧ソ連の選手を呼ぼうと思ったきっかけはなんだったんですか?
前田 東京ドームで(アントニオ)猪木さんがショータ・チョチョシビリ(ミュンヘン五輪柔道金メダリスト)とやったじゃん(1989年4月24日)。あれを見て、「ソ連の選手を引っ張れるんだったら俺も引っ張ろう」と思ってね。
――じゃあ、リングス旗揚げ前のUWF時代から考えてはいたんですね。
前田 可能性があるならいつかはと考えていたよ。
――リングスではどういうルートで招聘したんですか?
前田 UWFのときに俺はサンボを研究してたんだよね。それで日本サンボ連盟っていうのがあるのを知ってたからさ。そこのトップだった堀米奉文さん(のちのリングス審議委員長)がその時点で世界サンボ連盟の副理事長で前理事長だったんだよね。それを思い出して直談判したんだよ。そしたら快く承諾してもらえた。「選手を探しにいくなら、協力しましょう」ってね。それで堀米さんと一緒にロシアに行った時に紹介してもらったのが、ソ連スポーツ省事務次官だったウラジミール・パコージン(のちのリングス・ロシア代表)。
各国のリングス支部設立の“ウラ話”
――堀米さんとパコージンさんは旧知の仲だったんですか?
前田 そう。「親友だ」って紹介してもらってね。省庁の事務次官をやるくらいなんで、話を聞いたらすごい優秀な人で。ちょうどその頃、ペレストロイカによってスポーツ省がなくなったんだよ。
――トップアスリートへの国からの支援も打ち切られて、スポーツ選手が食べられなくなった時代ですね。
前田 それで「ぜひ、選手を使ってやってほしい」っていう話になってさ。また、ソ連のスポーツ省のトップということは、東欧の情報もいっぱい持ってるんだよね。それでパコージンと契約したんだよ。そのときにただ選手引っ張るとかそういう話じゃなくて、「各国それぞれにリングスの支部を置いて、自分たちで独立興行形態を敷いて、日本のようにテレビ放送をつけて、スポーツマネジメントできるように協力するから一緒にやりましょう」という話をしたんだよね。
――各国それぞれがスポーツビジネスをできるよう協力します、と。
前田 だからクリス・ドールマン(リングス・オランダ代表)を口説くときも、ロシアを口説くときもみんなそうですよ。日本と同じようにビジネスができるようにしましょうと。そのために協力しますからと。そうじゃなくてフランチャイズビジネスにしてたら、今ごろ俺は姫路城みたいな大豪邸を建ててたよ(笑)。
――城が立つくらいの大富豪になっていた、と(笑)。