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〈追悼〉がん公表から1年…藤井直伸、31歳で逝く「目指すのはパリ五輪ですよ」病室でも妻とバレーボールを…仲間に愛された男の最期 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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posted2023/03/17 17:00

〈追悼〉がん公表から1年…藤井直伸、31歳で逝く「目指すのはパリ五輪ですよ」病室でも妻とバレーボールを…仲間に愛された男の最期<Number Web> photograph by AFLO

胃がん公表から約1年、31歳の若さでこの世を去った藤井直伸。明るい人柄でたくさんのチームメイトや関係者を魅了した(写真は2019年アジア選手権)

 昨年の3月、ちょうど1年前だ。

 治療のサイクルが落ち着いたタイミングで藤井を訪ねた。身体は少し細くなっていたが顔色もよく、元気そうだった。

「もうがんは消えた気がするんですよ。だから、早く検査したくて」

 診断を受けた翌日、突然の事態を受け入れられず、妻の美弥さんに「ごめん」と謝りながら2人で涙し、元気が出るようにと前向きな曲を聴いても泣けてきたと、当時の心境を振り返っていた。目の不調がまさか「がん」と診断されるなど誰も想像しない。しかも、その数カ月前までコートに立って試合でプレーしていた選手なのだからなおさらだ。

 その言葉を聞いて、どれほど苦しかっただろうと胸が痛くなった。それでも、心配させないようにと明るい口調で話すのが藤井という人だった。

「最初は無理していたけど、乗り越えるしかないですから。ほんとに今は、ただ前向きなんです」

「目指すのは現役復帰じゃないですよ」

 いろんな人が連絡をくれたり、訪ねてきてくれること自体が嬉しい。そう笑いながら、話題は日常へと向く。

 脳への放射線治療が終わってからは体調もよく、東レの体育館へ行ってトレーニングをする日もあること。入院期間中は時間があるから、むしろ有意義な時間にしてやろうとエクセルとワード、ブラインドタッチをマスターしようと思ったけれど、病名を聞いた時のショックで頓挫してしまったこと。病気のことなど忘れさせるぐらい楽しそうに話す中、圧倒的な要素を占めたのはやはりバレーボールの話。

 終わったばかりのVリーグや間もなく始まる日本代表の展望を述べたかと思えば、高校生から大学生まで若い選手のこともずいぶん詳しい。「あの子は確実に僕よりうまいけど、まだ負けないっす」と張り合う顔は、コートでツーアタックやブロックを決めた後のドヤ顔と何ら変わりなかった。

 治療はさまざまなサイクルで行われ、副作用もある。少しの不安と「終わればもっと元気になる」という希望。どちらも現実だと受け止めながら、こう言った。

「僕が目指すのは現役復帰じゃないですよ。パリオリンピックです。今この状態から、パリオリンピックに出たら、めちゃくちゃカッコよくないですか」

 深刻な病名も病状も、彼にとってはきっと乗り越えられるものなんだ。そう、願うだけでなく、本気で信じていた。

 だが病は、描いた未来を現実にしてはくれなかった。

【次ページ】 闘病生活の支えもバレーボールだった

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