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〈追悼〉がん公表から1年…藤井直伸、31歳で逝く「目指すのはパリ五輪ですよ」病室でも妻とバレーボールを…仲間に愛された男の最期 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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posted2023/03/17 17:00

〈追悼〉がん公表から1年…藤井直伸、31歳で逝く「目指すのはパリ五輪ですよ」病室でも妻とバレーボールを…仲間に愛された男の最期<Number Web> photograph by AFLO

胃がん公表から約1年、31歳の若さでこの世を去った藤井直伸。明るい人柄でたくさんのチームメイトや関係者を魅了した(写真は2019年アジア選手権)

 夏が過ぎる頃までは治療を続けながら自宅で日常生活を送っていたが、体調を崩すことや入院の回数が増え、症状は悪化していく。病魔は確実に藤井の身体を蝕んでいた。

 そんな日々の中でも、バレーボールは活力だった。

 22年10月にVリーグの新シーズンが始まり、体調がいい時は三島のホームゲームへ足を運んだ。アウェイの試合も自宅で観戦するのが常だった。プレーできないもどかしさを感じながらも、まるで自分がコートにいるかのように喜び、熱くなる。あまり体調がすぐれなかったにも関わらず、6年ぶりの優勝が懸かった12月の天皇杯決勝も「現場に行って応援する」と当たり前のように出かける支度を始め、美弥さんを困らせた。

 入院時のベッドでもボールを持ち、元日本代表のセッターである美弥さんと山なりのボールで何本もパスを続け、突然「B!」とBクイックのトスに見立てたパスを返し、「まだいける」と満足気に笑っていたこともあったそうだ。

 暖かくなって、桜が咲いたら花見をしながら散歩して体力をつけよう。元気になったらあれも食べたい。ここにも行きたい。何より、バレーボールがしたいから指先が感覚を忘れないように、とボールを触り続けた。藤井が見ていたのはいつだって前、訪れるべき未来だった。

天皇杯を逃した選手たちの涙、その意味は

 身体がしんどくても、受け入れがたい現実に打ちのめされそうになっても、人に会う時はいつも笑顔。自分よりも周りのため、チームのため、と気遣う。

 試合のたびにベンチに藤井のユニフォームを置き、リーグ戦や天皇杯を共に戦ってきた東レの選手たちは、事あるごとにその名を挙げ「藤井さんのほうが苦しいのに、いつも自分が励まされた」と口を揃えた。優勝を逃した天皇杯で人目を憚らず涙した選手がいたのは、単にタイトルが獲りたかったのではなく、藤井のもとにトロフィーを持って帰ることができなかった悔しさとふがいなさがあったから。

 奇跡でも何でもいいから、またここで、また一緒に――。

 だが、その願いが届くことはなかった。

 3月10日、早朝。美弥さんに見守られ、藤井は旅立った。最後まで戦い続け、何度も何度も乗り越えながら、穏やかに31年の生涯を閉じた。

【次ページ】 「元気になったら僕の本を書いてくださいね」

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