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「チョーノ! 俺と戦え」武藤敬司は、なぜ蝶野正洋を指名したのか?「一寸先はサプライズ」前代未聞の”引退試合後の引退試合”の舞台ウラ
posted2023/02/25 17:01
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Essei Hara
アントニオ猪木が“一寸先はハプニング”なら、武藤敬司は“一寸先はサプライズ”。「LAST LOVE」で何も起こらないというのは、むしろ不自然であった。
終焉が近づくと3万人をのみ込んだ東京ドームは、どこかセンチメンタルな空気が流れ始めていた。
引退試合の相手に指名した内藤哲也のデスティーノを浴びて3カウントを聞いた後、武藤は仰向けで寝そべったまま天井を見つめていた。
「東京ドームって、ひれえな」
心のなかでそうつぶやいたそうだ。1995年の高田延彦戦然り、何度もメーンを張ってきたのに、自分が泳いできた世界の広さと深さをここで感じ取るあたりが何ともあの人らしい。
やるべきことはまだ残っていた。
武藤敬司、最後の叫び「チョーノ! 俺と戦え!!」
武藤はムクッと起き上がって勝者を丁重に送り出すと、目をカッと見開いた。終わったはずなのに、生気がみなぎっている。マイクを持つ。ん? おかしい。絶対に何かを企んでいるときの目だ。
≪まだ灰にもなってねーや。どうしてもやりたいことが1つあるんだよな。チョーノ! 俺と戦え!! チョーノ、カモン!!!≫
ABEMAのゲスト解説席にいた蝶野正洋は口をあんぐり。アラ還同士の渋いにらめっこの後、ヘッドセットを外した黒の総帥は意を決して、杖を手にリングに向かおうとする。
“一寸先はアドリブ”は蝶野の真骨頂でもある。誰も予期しなかったであろう「引退試合後の引退試合」に場内のセンチメンタルは一気に吹き飛んだ。会場の盛り上がりに、してやったりとばかりに微笑む武藤がリング上にいた。
武藤と蝶野、その因縁はプロローグからエピローグまで。
1984年4月、新日本プロレスに同日入門した同期であり、半年後にはお互いデビュー戦で闘っている。年は武藤のほうが1つ上。仲間というよりライバルだと2人とも認識していた。同期の橋本真也と3人で「闘魂三銃士」を結成し、ときに組み、ときに闘ってしのぎを削ってきた仲だ。nWoブーム、軍団抗争、武藤の全日本プロレス移籍、そして再会……彼らのプロレス史は、お互いの存在なくしては語れない。