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クラッシュ・ギャルズの映像に「こんなの、見習うな!」若き日の女子レスラー・ダイナマイト関西が“レジェンド”ジャッキー佐藤に救われた話
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)東京スポーツ新聞社、R)Kiichi Matsumoto
posted2023/03/14 11:00
元女子プロレスラーとして、圧倒的な“強さ”を誇ったダイナマイト関西。プロレス入門からの道のりを改めて聞いた
伝えたかった「女子プロレスラーは全女だけやないんやで」
関西 JWPって、最初はキューティー(鈴木)のかわいい系、尾崎の美人系を前に出してたけど、対抗戦をしてからは、強い女のほんまもんのプロレスを観る男のファンが増えたかもしれんね。あと単純に、お客さんが増えた。それはもう、目に見えて増えた。全女のファンも来てくれたから、会社も一気に潤ったし。選手へのギャラは少ないけどな、変な話(笑)。
――それはわかりませんけど(笑)。
関西 全女の運営側にも、ファンにも伝えたかったのは、女子プロレスラーは全女だけやないんやでと、ここにも女子プロレスラーですって胸を張って言える人間がおるんやでと。それを試合で伝えられたのは、よかったな。
――結果的にジャッキーさんが言うとおり、トップに立ちました。95年8月、大阪府立体育会館第1競技場(現・エディオンアリーナ大阪)で行われたWWWA世界シングル選手権戦で、チャンピオンで全女のアジャ・コング選手(当時)を破って、最高峰の赤いベルトを奪取しました。4度にわたって両選手が繰り広げたシングル戦は、名勝負数え歌でした。
関西 アジャと初めて闘ったときは、怪物やと思ったね。「こいつ、ほんまに女か?」と。アジャと闘ったあとはね、必ず課題が出るのよ。だから、すごく勉強になる相手で、最高のライバル。初めてやったときから、自分がこいつを完全に倒さんことには、絶対にトップに立たれへんと思ってたから、毎回課題が出る。考えなあかんことも、いっぱい出てくる。消化できひんこともあったよ。低迷もあったし。
「やっぱり、プロレスラーになれてよかった」
――ベルトを腰に巻いて、印象に残っていることはありますか。
関西 デビル(雅美)さんがね、すごい喜んでくれた。「このベルトをJWPに持ってくるのは、おまえしかいないと思ってた。私の目は正しかった」みたいなことを言われて。全女であれだけ活躍したデビルさんが言うねんから、自分も少しは自信を持っていいのかなと、自信を持とうとなれたよね(※デビルも85年に同ベルトを巻いている)。
――“至宝”が他団体に流出したのは初めてのこと。関西さんは、歴史に名を刻んだトップファイターなんですよ。
関西 あのころ、赤いベルトは絶対に外に流れへんっていわれてたもんね。今改めて思うのは、すごいことをしたんだなぁって。やっぱり、プロレスラーになれてよかった。14歳のとき、プロレスラーになりたいって思ってよかった。これは一生の宝物やね。自分に子どもがいたら、絶対に自慢してるわ。結婚してへんから、それはできひんけどな(笑)。
《つづく》
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