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クラッシュ・ギャルズの映像に「こんなの、見習うな!」若き日の女子レスラー・ダイナマイト関西が“レジェンド”ジャッキー佐藤に救われた話
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byL)東京スポーツ新聞社、R)Kiichi Matsumoto
posted2023/03/14 11:00
元女子プロレスラーとして、圧倒的な“強さ”を誇ったダイナマイト関西。プロレス入門からの道のりを改めて聞いた
クラッシュ・ギャルズを見ていると「こんなの、見習うな!」
――おまえさん?
関西 そう。相手のことは「おまえさん」、自分のことは「うち」って呼びはるねん。
――ジャッキーさんは、中学校を出たばかりの鈴木さんの何が見えていたんでしょうかね。
関西 それを聞けないまま亡くなったのは、無念やね。寮でね、クラッシュとか全女のビデオを観てるやん。そしたら、「おまえさんはこんなビデオを観る必要がない! こんなの、見習うな!」って、めっちゃくちゃ怒られた。だから、ジャッキーさんが帰ってくる前に、慌ててビデオを消すとかね、やってたよ(笑)。「クラッシュ・ギャルズにあこがれてこの世界に入ってきました」って言ったら、すぅごい嫌な顔しはってね。子どもながらに、ジャッキーさんの前で「クラッシュ」って言葉を出したらあかんなって、気を使ってたよ。
「客もバカじゃない。ちゃんと試合内容を観てくれてた」
――もうお亡くなりになったジャッキーさんの話を聞けたのは、とても貴重でした。さて、そのジャパン女子は92年に崩壊して、関西さんたちは同年、新団体のJWPを立ちあげました。その年に団体対抗戦が開戦して、全女の川崎市体育館で行われたWWWA世界タッグ王座選手権戦で、王者組で全女の山田敏代さん&豊田真奈美さんに尾崎魔弓選手と組んで初挑戦(92年11月26日)。対抗戦の火ぶたが切られました。
関西 最初があの2人でよかったよ。あのころ、山田&豊田は全女でいちばん何をするかわからんタッグっていわれてたみたい。いわゆる「潰し屋」。簡単に選手をつぶすと。周りの人間たちも、「JWPの尾崎も関西も無理だろう。一発で潰されて、泣いて帰るだろう」「わざわざ全女に出向いて、かわいそうにボコボコにされて帰るんだ」と言ってたらしいよ。でも、試合が進むにつれて、風向きが変わっていった。
――当時の同タイトル選手権戦は、60分3本勝負でしたから。
関西 そう、そう。最初、うちらはアウェイやったけど、1本目が終わり、2本目が終わり、3本目がはじまったころは、「オザキ」への声援が増えていた。客もバカじゃないんだよ。ちゃんと試合内容を観てくれてる。うれしかったね。あいつらが相手でよかったって、素直に思えたよ。
――あの試合は今観ても、4人全員が必死ですよね。
関西 ほんま、必死やって! こっちは3本勝負のペース配分がわからんし、どうやって試合を組み立てていこうかって、悩んだよ。
――対抗戦を経験して、何がどう変わりましたか。