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「テメエ、この野郎!」絶対服従の監督に反発、一瞬で消えた契約金、バレかけた朝帰り…近鉄ドラ1・栗橋茂が明かす“破天荒伝説”の真相
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2023/02/13 11:00
1970、80年代に近鉄の主砲として活躍した栗橋茂。筋骨隆々とした肉体から「ヘラクレス」と称された男の野球人生に迫る
「不動産業者が来て、お袋を旅行みたいな感じで北海道まで連れていってさ。『ここの土地は将来、価値が上がりますよ』と調子のいいこと言って、お袋が買わされちゃった。当時で1000万だもん。これで契約金が消えた。売れないから、未だに持ってるよ。坪100円もしないよ。俺、一度も行ったことないんだよね。遠すぎて辿り着かない。買ってくれない?」
朝帰りしたら闘将が…「あれはドキドキした」
栗橋が入団した年、阪急の黄金時代を築いた西本幸雄が近鉄の監督に就任した。大正9年生まれの元陸軍中尉は鉄拳制裁も辞さない指導者で、選手たちを震え上がらせていた。
「入団前から怖い人という話しか聞かなかったね(笑)。キャンプに入って噂が本当だとわかった。練習中、選手は常にビビってるし、コーチはそれ以上だった。ノック打つ時も『おい、いくぞ!』と声を掛けながら、横目でチラチラ西本さんを見ていたからね。見逃し三振でベンチに帰ると『貴様来い!』と呼ばれて、胸ぐら掴まれたこともあった」
西本監督は常に全力プレーを求め、シート打撃や紅白戦でも投手に思い切り内角を攻めさせた。栗橋は77年の高知・宿毛キャンプで右腕、左右の太もも、足首、脇腹など8カ所に死球を受けて全身アザだらけになった(※1)。それでも、夜遊びは欠かさなかった。ある時、朝帰りをすると戦慄の場面が訪れた。
「7時半くらいだったかな、宿舎に戻ったら駐車場でみんな体操してるんだよ。西本さんもいてさ。その場に入れなくて、国道とホテルを遮るブロック塀に隠れてたの。穴から様子を見てたら、西本さんが両腕を上に伸ばしながら、俺のほうに来たんだよ。慌てて、地べたに仰向けになって寝たわけ。そしたら、道路を走るトラックの運ちゃんが『……何やってんの』って感じで、冷たい視線を送るんだよ。パッと横を向いたら、ブロック塀の穴から西本さんの膝が見えるんだよね。あれはドキドキしたね。ホントに」