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「脱走は5回以上」“最後のアイドルレスラー”納見佳容(46歳)が今明かす、過酷すぎた全女新人時代「いじめのターゲットにさえならなかった」 

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伊藤雅奈子

伊藤雅奈子Kanako Ito

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photograph byL)Yuki Suenaga、R)東京スポーツ新聞社

posted2023/01/18 11:01

「脱走は5回以上」“最後のアイドルレスラー”納見佳容(46歳)が今明かす、過酷すぎた全女新人時代「いじめのターゲットにさえならなかった」<Number Web> photograph by L)Yuki Suenaga、R)東京スポーツ新聞社

“全女最後のアイドルレスラー”と呼ばれた納見佳容さん。過酷だった新人時代と全女の崩壊を振り返った

――「引きずってちゃいけない」と思っていたということは、未練があったということ?

納見 そうです。だから、「もう絶対にプロレスを観ない!」って決めて、「週プロ」(「週刊プロレス」)が並んでるのも見ないようにして。エステの仕事に没頭できてるつもりだったけど、ある日、全女の影さん(田口かほる/当時の取締役兼芸能マネージャー)から電話がかかってきて、「もう1回やらない?」って話をされたときは、舞いあがりました。さんざん迷惑をかけて、あんな辞め方をしたのは、自分のなかで黒歴史になってるけど、でもどうにもならない現実があって……。だから、「えっ、もう1回できるの? 私、戻っていいの!?」って、すっごいうれしかった!

――ただ、その97年というのは、全女から選手が大量離脱して大ピンチ。1から育てる時間も人も不足していたから、経験者の納見さんにアタックしたんでしょうね。景色はガラリと変わっていたと思います。

納見 選手がいなくなったと聞いてはいたけど、でもやっぱり、昔の全女だと思ってて。戻るには全選手に謝りにいくんですけど、前の全女を想像してるから、リアルに2カ月ぐらいは口をきいてもらえないだろうって、覚悟はしてましたね。

突然の通告「全女が倒産しました」に当事者は…

――実際、どうでした?

納見 人数がいないから、それどころじゃない。1日2試合して、興行数も多くて、それ以外は練習練習。前みたいなつらさは、ぜんぜんなかったです。

――「口をきいてもらえない」現状も?

納見 なかった。全員が優しかったし、しゃべってくれるのは、(前年に復帰していた)奈苗さんだけだろうなって思ってたけど、九州の巡業から合流したら、突然部屋にニッコニコした脇澤(美穂)さんが遊びにきたりして。いちばん変わったのは、練習ですね。上から下まで、みんなが一緒にするようになって。いちばん下で入ってきたばかりの私が、練習の初歩の首押しの相手を、いちばん上の堀田(祐美子)さんにやってもらうとか。あのときの一体感はすごかったです。もうみんなが必死!

――全女の歴史は選手が反目しあうことで作られてきたけど、97年以降は一変。絆や連帯感を重んじるようになりましたね。

納見 その巡業が終わって東京に戻ってきたあと、堀田さんがお食事会を開いてくださったんですね。そこで、「全女が倒産しました」って言われた(笑)。「えっ、“するかも”じゃなくて“していた”ってどういうこと~!?」って。倒産と言われてもわからないけど、この先どうなるんだろうという不安は漠然とあって。でも、普通に大会日程は埋まってるし、何事もなかったように試合をしてるし。倒産したのに会社が続くって訳わかんないけど、全女ってそういう不思議なことが、とにかく多い会社でした。

《つづく》

(※1)現在は「高橋奈七永」として選手生活をしているが、当時の2人の関係性を重んじて、本稿では「奈苗」のまま表記

(※2)レジー・ベネット=91年に放映された栄養ドリンクのテレビCMに、「ダ・ダーン! ボヨヨン、ボヨヨン」というフレーズで出演。巨体と明るい人柄で強烈なインパクトを残し、同年の「新語・流行語大賞」大衆部門で銀賞を受賞した

#2に続く
写真集は4冊発売…『キッスの世界』でも活躍した“アイドルレスラー”納見佳容が振り返る「あの帯は嫌だった」「感情は二の次。麻痺してました」

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