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「脱走は5回以上」“最後のアイドルレスラー”納見佳容(46歳)が今明かす、過酷すぎた全女新人時代「いじめのターゲットにさえならなかった」
posted2023/01/18 11:01
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
L)Yuki Suenaga、R)東京スポーツ新聞社
昨年、新日本プロレスと全日本プロレスが創立50周年を迎え、通年で盛りたてられた。この2大老舗団体には、かつて“先輩”がいた。「全日本女子プロレス興業」だ。新日本と全日本より4年早い1968年に旗揚げされた、通称・全女。昭和時代にはビューティ・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)、クラッシュ・ギャルズ(長与千種&ライオネス飛鳥)という2大レジェンドを生み、ジャガー横田や北斗晶、アジャコングやブル中野ほか、多くのカリスマレスラーを輩出。2005年、経営悪化により解散したが、現存していれば今年は55周年の節目となる。
そんな伝説の女子プロ団体で、“全女最後のアイドル”となったのが納見佳容(のうみ・かよ)。観月ありさに似たルックスで、入団直後に業界内外から大注目。しかし、入団した翌96年に退団。翌97年に再入団したとき、全女は2度目の不渡りを出して、倒産していた。そんな苦境のなか、なぜ“伝説の少女”は戻ってきたのか。
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「無理だ、怖い」新人時代の脱走は5回以上
納見 新人時代は、なんっにも通用しなかった! 先輩が言ってることが理解できないし、敬語もほとんど使えないし、練習もついていけない。(高橋)奈苗さん(現:奈七永※1)が同期だったけど、練習生出身で完全に頭ひとつ抜けていたんで、そのころから頼ってばかりで。
――あこがれていた三田英津子さんをはじめ、当時の全女は大柄ファイターが大半でした。ガリガリの納見さんが通用しないのは当然かも。
納見 ですよね。もっとできると思ってたから、「(想像と)ぜんぜん違ったー!」って。考えが甘かった。脱走も5回ぐらいしてますし。
――脱走は日常的に起こっていましたが、それでも5回は多いほう。
納見 あっ、6回かもしれない。覚えてるので、5回。1回目は、後楽園ホールに行かなかったんです。2回目は、私がやらかした。先輩たちの衣装を汚しちゃったんです、シューズとかを。道場で先輩の洗いものをするんですけど、つまずいて汚しちゃって。4階の新人寮まで「奈苗さ~ん」って呼びに行って、汚れを落とすのに朝まで付きあってもらいました。いちばん汚しちゃったのは、レジーさん(※2)の仕事用のバッグ。レジーさんはアメリカから来ていて、道場の上に住んでたから、よく顔を合わせてて。いつもニコニコ優しくしてくれてたけど、私はもう先輩に謝るのが怖くなってるから、「あー、無理だ。怖い。(実家に)帰る」ってなっちゃって、すみませんという手紙を書きました。英語ができる奈苗さんに手伝ってもらって。