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メッシとマラドーナを祝福のち天国へ…“24時間態勢”ペレ葬儀に23万人、刻まれた「1940~∞」ブラジル在住日本人が見た“盛大な別れ”
posted2023/01/07 06:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hiroaki Sawada
「オブリガード(ありがとう)、ペレ!」
若い男が、中年の女性が、初老の男性が、口々にこう叫んでいた。
1月3日10時20分、サントスFCの本拠地ヴィラ・ベルミーロ・スタジアムの車両出入り口から救急車が出てきて、市街地へ向かおうとしたときのことだ。
救急車の上部には、ブラジル国旗とサントスFCのクラブ旗にくるまれた棺が置かれている。
もはや息をしていなかったとしても、この男がこのスタジアム内に留まっていることは彼らにとって全く自然なことだった。しかし、ここから出て行ってもう二度と帰ってこないのであれば、話は違ってくる。
人々は大きな喪失感に襲われ、悲しみが一層深まり、それがこの悲痛な叫びとなったのだろう。
涙ぐんでいる人がいる。号泣している人もいる。しかし、多くの人は悲しみを内に抱え込みながらも、強い感謝の気持ちを伝えようとしていた。この不世出の選手のサントスFCへの、サントスの町への、ブラジルへの、そしてフットボールへの偉大な貢献に対して。
その思いは、世界中のファンも同様だろう。彼こそがフットボールの華やかさ、美しさ、楽しさを22年間に渡って示し続け、この球技を世界最大の人気スポーツへと押し上げた最大の功労者なのだから――。
夜を徹して24時間続いたペレの葬儀
1月2日10時に始まった葬式(お通夜)は、夜を徹して24時間続いた。FIFAのジャンニ・インファンティーノ会長らフットボール関係者、ブラジルのルーラ大統領ら政治家を含む23万人以上の人が、彼に別れを告げた。
スタジアムを出た消防車は、運河の横を走る大通りを人が歩くほどのスピードでゆっくりと南下する。高層アパートや商業ビルの窓から人々が身を乗り出し、全身で別れを告げる。
消防車のすぐ後ろではサポーターグループの一団が練り歩き、巨大な応援旗を振り、クラブ歌を合唱し、「1000ゴール、1000ゴール、それはペレだけ、俺たちのサントスでプレ-したペレだけ……」のチャントを野太い声で歌い続ける。
やがて、消防車は市南部のビーチに突き当たった。ここは、1956年、サンパウロ州内陸地から出てきた15歳の少年ペレが生まれて初めて海を見て感激した場所だ。
消防車は左へ折れ、海岸沿いの通りを粛々と進む。ここでも大勢の人が出迎え、「オブリガード、ペレ」の言葉を手向ける。
100歳になった母セレステさんが…
正午過ぎ、消防車は市の南東の端にほど近い2階建ての家の前に止まった。ここには、ワールドカップ(W杯)カタール大会が開幕した昨年11月20日に100歳の誕生日を迎えたペレの母セレステさんが住んでいる。
周囲を数万人の人が埋め尽くしており、消防車が到着すると大きな拍手が沸き起こった。