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「イチローなら絶対にやってくれる」「客が木によじ登って試合を…」不人気だったオリックスに熱狂…“1995年の神戸”に野球は何を見せたのか
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2023/01/17 06:01
1995年、パ・リーグを制したオリックスの選手たち
「あの日もスタンドは満員で、打たれてベンチに戻ってきたのに、客席からすごい拍手で迎えられた。普通そんなこと絶対ないですけど、『よくやった』っていうことなんだと思います。でもそれがかえって情けなくて、半分泣いてました。本当は回の途中で降りたら、その回まではベンチで見守るのがマナー。でも、そのときはたまらずウエイトルームに逃げました。そんなことをしたのは僕の野球人生で唯一ですよ。2年目の分際で、よくできましたよね」
平井は、チームや自分の好成績を震災と結びつけることはしなかった。しかし、神戸の人たちに優勝を見せたい思いがなかったわけではない。いや、むしろ人一倍強かったのだ。
「イチローなら絶対にやってくれるだろう、って」
投のヒーローが平井だったならば、打のヒーローはやはりイチローだった。この年は、本塁打のタイトルこそ3本差で及ばなかったが、打率、打点の二冠王に輝き、トップバッターとしては規格外の数字を残した。
田口はイチローの心情をこう慮る。
「彼は前年に200本安打を達成して、オリックスの、というより神戸の象徴になった。みんな、彼に願いを託していた部分が大きいんじゃないかな。イチローなら絶対にやってくれるだろう、って。彼はそういうことを誰よりも重く感じる人間ですからね。口にはしなくても、僕らとは別の思いを背負っていたと思いますよ」
神戸で4連敗して悲願の地元優勝を逃したオリックスは、2日後の西武球場で8-2で西武を下してあっさりと優勝を決めた。
「あのときは、簡単に勝てましたね」と田口は笑う。「重圧から解放されて、気分的にすっごい楽になった」
その日のビールかけで、いちばんはしゃいでいたのはイチローだった。松村の回想。