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《猪木の願い虚しく》プロレスファンは知っている山田邦子の真実…M-1採点騒動で思い出す、35年前の新日・馳浩がキレた日 

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プチ鹿島

プチ鹿島Petit Kashima

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photograph byBUNGEISHUNJU / KYODO

posted2022/12/23 06:00

《猪木の願い虚しく》プロレスファンは知っている山田邦子の真実…M-1採点騒動で思い出す、35年前の新日・馳浩がキレた日<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU / KYODO

新審査員・山田邦子(左)の採点は「ブレ過ぎ」と批判の声も。この騒動は35年前の馳浩との“ある事件”を彷彿とさせる

 実は番組出演がきっかけで山田邦子さん(以下敬称略)が叩かれたことは以前にもあった。それは今から35年前。番組名は、

『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』(1987年・テレビ朝日)である。

 当時、アントニオ猪木の衰えや選手の離脱などの理由から『ワールドプロレスリング』の視聴率は低下。テレビ朝日はてこ入れをして87年4月から番組名を『ギブUPまで待てない!! ワールドプロレスリング』と変え、月曜夜8時から火曜夜8時に移動。

「プロレス+バラエティ=面白すぎるスポーツ番組の登場!」というコンセプトのもと超売れっ子の山田邦子をメインMCとして迎え、スタジオ収録のトークを中心にして試合中継を挟み込む構成になった。他の出演者には「男闘呼組」(当時、ジャニーズ事務所からデビューしたばかりのグループ)もいた。一般の視聴者も取り込むという狙いがあったのだろう。

 しかしこの試みは逆の結果が出た。初回視聴率は5%台。一般層どころかプロレスファンの支持もつかめなくなってしまう。しかも当時の猪木ファン&新日ファンは過激派そのもの。この時期(80年代中盤から終盤)、試合結果に納得がいかないという理由で大会場で「暴動」を3回も起こしている(!!)。そんなガチガチな新日ファンからすればプロレス番組のバラエティ化など怒りと反発しかないのである。

キレる馳浩(現・石川県知事)

 そんなある日、「事件」が起きた。

 海外武者修行帰りで日本デビュー前の馳浩がスタジオ出演。試合中継を見終えた山田邦子は馳に、

「あの血はすぐに止まるもんなんですか?」

 と話しかけた。すると馳浩は「つまんないこと聞くなよ。止まるわけないだろ!」とキレ気味に答えた。

 この場面がプロレスファンの溜飲を下げたのである。「馳、よくやった」というムードさえあった。10代で熱心なプロレスファンの私もそう思ったからよく覚えている。山田邦子を叩くことでプロレスのバラエティ化や低視聴率などのモヤモヤが一瞬だけスッキリしたのだ。

 しかし大人になってよく考えると、山田邦子は一般層に向けて素朴な疑問を言っただけ。番組MCも依頼があったから受けたのであり、自分の立場からプロレス中継を立て直そうとしていただけだ。そもそもプロレスファンが喝采を送った馳浩は最初から山田邦子に怒ろうと決めていたフシがあった(実際、馳浩の先輩だった人が新人だった馳に「(舐められないために)一発カマしてやれよ」とアドバイスしたと後年ツイートしている)。

【次ページ】 多くのプロレスファンが反省

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