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「山田邦子って誰?」テレビから“消えた”30年間…バッシング、乳がん、M-1採点で賛否、山田邦子62歳とは何者か?「あの伝説的番組が終了した事情」
text by
近藤正高Masataka Kondo
photograph byKYODO
posted2022/12/21 11:02
今年、M-1の審査員に抜擢された山田邦子。写真は人気絶頂の1988年撮影
そのなかで山田は、『ひょうきん族』終了後もお笑いの王道を歩き続け、一時代を築くことになる。多いときには隔週ものも含め週16本ものレギュラー番組を抱え、寝る暇もなかった。年末年始ともなればスケジュールはさらに過密になり、家に帰れず、楽屋で暮らすような状態だったという。そのなかでNHKの「好きなタレント調査」で1988年から8年連続で女性タレントの1位に選ばれる。
『やまだかつてないテレビ』からは、プロデューサーが音楽関係に強かったので「愛は勝つ」「それが大事」などヒット曲も多数生まれた。『ひょうきん族』ではどぎつい下ネタや暴力的な要素もあったのに対し、『やまだかつてないテレビ』はそれを排し、山田いわく「とにかく超明るいバラエティ番組」だった。その点では最近よく言われる「誰も傷つけない笑い」を先取りしていたかもしれない。
しかし、同番組は1992年、山田自身から申し出て終了する。続けるうちにプロデューサーと方向性や考えにずれが生じ、共演者にいやな思いをさせることが増え、耐えられなくなったというのがその理由だ。昨年刊行した著書では、プロデューサーが出演者を次々と切っては新しい人に交代させていくので、共演者のなかには山田にやめさせられたと勘違いし、あとから恨みつらみを言ってきた人もいたと明かしている(『生き抜く力』)。
その後、ほかの冠番組も徐々に終了し始め、好きなタレント調査でも首位から落ちると、それまでの人気の反動かワイドショーなどで激しいバッシングを受ける。いまから振り返れば、とくにスキャンダルを起こしたわけでもなく、理不尽と言うしかないが、人気稼業とあって世間の流れに抗うすべはなかった。
2度の乳がん手術、M-1採点で賛否両論
仕事が減った分、時間に余裕が生まれ、自分を見つめ直していままでできなかったことに挑戦し始める。先述の長唄もそのひとつだ。46歳のときには乳がんが判明、2度にわたり手術を受ける。この経験から、がんの啓蒙と患者やその家族への支援活動として、スター混声合唱団を結成してチャリティコンサートを行うようになった。
こうして振り返ると、若くしてデビューするや一気にスターダムに躍り出て、女性ピン芸人として10年足らずで頂点をきわめるも、その後、辛酸も舐めた山田邦子の経歴は唯一無二だ。2019年には長年所属した太田プロダクションを辞め、半年後には新たにスポーツ関係の事務所と業務提携を結んだ。YouTubeも事務所を移ってから始めた。事務所側はすぐにプロのスタッフを外部から呼んでくれ、提案したその日にはチャンネルを開設した。コメント欄では不愉快な書き込みがつくこともあるが、アンチにもなるべく返事するようにしている。無視するのは簡単だが、SOSを出しているのかもしれないと思ってのことだという。
今回のM-1のあと、山田の採点をめぐりSNSでは賛否両論が上がったが、彼女は批判的な声に対してもYouTubeやブログ、ツイッターできちんと応えていた。歴代の審査員でここまで世間の反応に真摯に応じたケースはないのではないか。ここには、かつてバッシングに晒された経験も活きているのだろう。そうしたアフターフォローも含め、初めて審査員を務めた山田にベテランの風格を感じた今回のM-1であった。
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