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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「大谷翔平です。よろしく」花巻東→日ハム後輩・岸里亮佑は“同部屋で大谷と何を話した?”ドラフト当日「どこまでついてくんだよ!」と電話口で…
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph bySPORTS NIPPON / JIJI PRESS
posted2022/12/28 11:01
花巻東時代の大谷翔平。高3の時には最速160キロも計測した
「翔平さんとブルペンの隣で投げることになったんです。見たことがないようなエグい球を投げていて。『なんだ、この人は……』と。でもそれより衝撃的だったのはバッティングでした。レフト側の球場外に3階建ての体育館があるんですが、そこまで平然とした顔で打ち込んでいる。翔平さん、左バッターですよ? 右のスラッガーでもほとんど当たらないのに。野球ゲームのキャラクターのような選手が実在するのかって」
大谷が仕込んだブーブークッションのいたずら
入寮から2年間、大谷がケガで離脱していた期間以外は同じ部屋で生活し、怪物の薫陶を受けた。当時の思い出は野球のアドバイスより、いたずらと読書。先に部屋に戻った大谷が岸里の枕にブーブークッションを仕込み、その音にケラケラ笑う。大谷の書棚に野村克也の本が並んでいれば岸里も買う。そのうち、大谷が読み終わった本の多くは岸里に渡されることになり、気づけば読書が習慣になっていた。上下関係を気にしない大谷との生活は実に居心地がよく、「怒られたことは一度もない」と言う。
「いい意味で捉えてほしいのですが、翔平さんってあまり人に興味がないんですよ。だから他人に対してイラッとすることもないのかなって。怒ったとしても、自分に対してのように思います」
12年ドラフトで1位指名を受けた大谷翔平は日本ハム入りを決め、翌春に卒業した。そのひとつ下の代で岸里は、主に「3番・レフト」の主軸として活躍。夏の甲子園ではホームランを放つなど、菊池世代以来となるベスト4進出に貢献した。
そして迎えた13年ドラフト会議で7位指名を受けた。選んでくれた球団は大谷と同じ日本ハムだった。“11号室の先輩”には、指名当日に電話した。
「『どこまでついてくんだよ!』って。第一声が祝福の言葉じゃなかったことは覚えてます。電話の最後にやっと、おめでとうって言ってくれましたけど」
指名挨拶時の会見で、岸里が「盗塁王をとりたい」と宣言すれば、当時のスカウト担当も「3拍子そろっていて将来が楽しみ」と期待を語った。プロ1年目から活躍していた大谷の後輩とあって、メディアやファンの注目度も、ドラフト7位としては異例の高さだった。
1年後、その期待はさらに高まることになる。