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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「大谷翔平です。よろしく」花巻東→日ハム後輩・岸里亮佑は“同部屋で大谷と何を話した?”ドラフト当日「どこまでついてくんだよ!」と電話口で…
text by
田中仰Aogu Tanaka
photograph bySPORTS NIPPON / JIJI PRESS
posted2022/12/28 11:01
花巻東時代の大谷翔平。高3の時には最速160キロも計測した
岸里は二軍で全108試合に出場し、107安打を放った。この数字は、ヤクルト山田哲人の1年目を上回る「高卒新人野手二軍最多安打記録」だった。さらにシーズン終盤の10月には一軍戦にも出場。プロ初安打、初打点まで記録した。19歳が残した成績にファイターズファンは確信したはずだ。岸里は必ず主力になる、と。
「1年目は遮二無二なって駆け抜けたら終わっていた感じでした。印象は良かったようで、オフシーズンに栗山(英樹)監督に言われたんです。来季は一軍で外野起用も考えている、って。それはもう、気合い入りますよね。オフ期間で何をすべきか……まずはこの細い体をどうにかしようかと」
当時の体重は70kg弱。周りの選手と比べて体の細さは歴然だった。ヒットを量産したものの、他の選手に比べて打球の球質が弱いと感じた。ならば、と岸里は思った。広角に打ち分けられるバットコントロール、二軍ながら13盗塁を決めたスピードはそのまま、増量して「パワー」を加えたい。そうすれば一軍の選手たちとも対等に戦えるのではないか。唯一無二の選手になれるのではないか。
左太ももに異変。ケガの本当の怖さは…
オフ期間中、食事量とウエイトの練習量を極端に増やした。成果は如実に現れ、翌年2月には6kgの増量に「成功」。ともに取り組んでくれたトレーナーと喜び合った。開幕一軍入りの誓いを胸に、意気揚々と春キャンプに乗り込んだ。
異変を感じたのはキャンプ6日目だった。左太ももに筋肉痛とは異なる嫌な痛みを覚えた。診断は肉離れ。過度な増量が原因だった。
「あとから知った話ですが、増量する場合は1年に2、3kgずつ上げるのが理想らしいです。一気に増やすと体のバランスが崩れてしまう。栗山監督にもこっぴどく叱られました。『そりゃ怪我するに決まってるよ』と。一緒に取り組んでいただいたトレーナーさんも『選手を殺す気か』と怒られてました。その方は僕と同じ2年目で、本当に親身になって支えていただいて。若さゆえ、2人して真っ直ぐ走りすぎたのかな。先輩方に聞いておくべきでした」
無理な増量の代償はあまりに大きかった。ケガの本当の怖さは“治った後”にあった。
1年目の感覚が戻らない。スイングのポイントがなぜかズレる。50m走のタイムが上がらない。何を変えても好転しない。気づけば同じ外野のポジションで、1つ下の14年ドラフトで入団した淺間大基が頭角を現していた。俊足巧打で同じ左打ち。岸里が意識してきた後輩が、自分の目指す舞台で躍動している。一軍の試合中継をテレビで見ることができなくなった。当時の心境を告白する。
「それがプロの世界だとわかっていても、悔しくて」
ひと呼吸置いて言葉を紡ぐ。
「……いや、うらやましかったんですね。自分と同じ系統の選手が一軍で活躍している。それなのに僕は何をやってるんだろうって」
鬱々とした日々を過ごすうち、「何もできなかった」2年目は気づけば終わっていた。失われた感覚は3年目も戻らず、一軍戦の出場は1試合のみ。高校で同部屋だった先輩が「二刀流」で大ブレイクして、チームが日本一になっても心は晴れなかった。
その大谷からある日、食事に誘われた。〈後編につづく〉
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。