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ドラフト抽選「くじ引く人」はどう決める? 天中殺、競馬の強さ、就任直後の新監督…あの“通算勝ち星7位”の名将は「通算10連敗」だった
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2022/10/20 11:07
天に運を任せるしかないと思われる『ドラフト抽選』に“持っている男”や“持っていない男”は存在するのだろうか?(写真は2019年ドラフト会議)
外れ1位の加藤伸一は通算92勝で小野の82勝を上回った。仲田幸司(阪神)の外れ3位・岸川勝也は、南海からダイエーに譲渡された1989年から3年連続20本塁打以上を放ち、一時は若鷹軍団の主軸を担った。川原新治(阪神)の外れ4位・山中律俊は1軍出場なしで4年の現役生活を終えたが、唯一引き当てた6位・佐々木誠は首位打者や盗塁王を獲得している。1993年オフに3対3のトレードで西武に移籍したが、その代わりにやってきた秋山幸二がダイエーのチームリーダーとなり、黄金時代への橋渡し役になった。引退後は監督を務めてソフトバンクを3度の優勝に導いている。
当時、抽選で“最強”と謳われた阪神の岡崎義人代表に2度負けたが、実は南海の泉谷代表こそ現在のホークスの礎を築く“持っている男”だった……と言ったら大袈裟か。
ドラフトでは「持っていなかった」名将
一方、くじに当たらない上に、外れ1位も活躍しない“持っていない男”もいた。阪急の黄金時代を築き、歴代7位の監督通算1322勝を挙げた上田利治(阪急・オリックス→日本ハム)は1980年の石毛宏典を皮切りに、1998年の松坂大輔まで抽選0勝10敗を喫した。
しかも、石毛の代わりに指名した川村一明には拒否され、1982年の野口裕美の外れ1位・榎田健一郎は0勝、1983年の高野光の外れ1位・野中徹博は2勝(移籍後)、1985年の伊東昭光の外れ1位・石井宏も2勝と恵まれなかった。上田監督の引いたドラ1抽選で成功と言い切れるのは、山沖之彦(通算112勝。1981年の金村義明の外れ1位)くらいだった。本人もくじ運の悪さを自覚しており、〈せめてジャンケンにしてくれたら自信はあるんやけどな〉(1983年11月23日付・日刊スポーツ 大阪版)と強がるしかなかった。
日本ハムの監督になっても、くじ運の悪さは変わらなかった。
1995年、三沢今朝治編成部長に「阪急時代は抽選に弱かったと聞いたけど、球団が変われば運も変わる」と説得されて福留孝介の抽選に臨んだものの、ゲン担ぎで赤ふんどしを身に着けた近鉄・佐々木恭介監督に持っていかれた。