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《メディア激震》「後悔…それはない」昭和の格闘技ヒーロー・矢尾板貞雄が、絶頂期の世界タイトルマッチ直前に突如引退表明した真相
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2022/10/13 06:00
左から力道山、矢尾板貞雄、柏戸。新聞社主催の座談会に集まった昭和の格闘技ヒーローだ
メデル戦から3カ月後、2度目の世界挑戦が決まっていた矢尾板が突如引退を表明した時は激震が走り、メディア挙げての大騒動となった。辞めずに挑戦していたら世界王者になれたと多くが確信していたからだ。後に本人に後悔はなかったかと尋ねると、「それはない」と一言。所属ジム会長との関係がそれほど悪化していたのだ。契約更改の書類に署名せず数試合こなし、辞め時を見計らっていたというから、ここでも矢尾板は頭脳派だったのである。
自らペンを執って原稿書き
引退後はフジテレビのボクシング中継で解説を務め、傍らサンスポのボクシング担当として辛口の評論を書いた。当時スポーツ紙は、こぞって引退した名選手を記者として採用していた。報知は日本王座19度防衛記録保持者(当時)の秋山政司、スポニチは「大学の虎」後藤秀夫、東中(西日本)は石橋広次……というように。日刊の白井義男以外は今のような口述筆記ではなく、自らペンを執るのが当たり前だった。矢尾板記者は常に辞書を手放さず、苦労しながら慣れない原稿を書いたと振り返っている。
記者席で一緒に観戦し、酒を一滴も飲まない矢尾板さんと喫茶店や食堂で何度も語り合い、昔話を聞いた。「真相はそうだったのか」と驚かされる事実がいくつもあった。かつての矢尾板ファンとして至福の時を過ごしていたのだと、いまつくづく思うのである。