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《メディア激震》「後悔…それはない」昭和の格闘技ヒーロー・矢尾板貞雄が、絶頂期の世界タイトルマッチ直前に突如引退表明した真相
posted2022/10/13 06:00
text by
前田衷Makoto Maeda
photograph by
NIKKAN SPORTS
筆者の手元に1枚の古い写真がある。
プロレスの力道山と大相撲の柏戸、そしてボクシングの矢尾板貞雄の3人が和やかに談笑している。いずれも、まだキックボクシングもK1もなかった時代の格闘技界のヒーローである。
9月13日に86歳で旅立った矢尾板貞雄は、ボクシングが空前のブームに向かいつつある昭和30年代半ばのわが国を代表するスター選手だった。
日本人初の世界王者白井義男が1954年11月にパスカル・ペレスに敗れ、タイトルは地球の裏側に持ち去られていた。この奪還を矢尾板が期待されたのは、59年1月の無冠戦でペレスの強打を封じ判定勝ちしたからである。不敗記録を51で阻止されたペレスは「矢尾板はマラソンランナーになればいい」と捨てぜりふを残した。この年11月に大阪で挙行された世界を懸けての再戦では、矢尾板が無念の逆転KO負けを喫した。
ファンを夢中にさせた頭脳的な戦い
筆者がボクシングに夢中になったのはペレス戦後で、毎日のようにテレビ観戦する中で頭脳的な戦法で相手を翻弄する矢尾板は我が偶像となった。
いちファンとしてはファイターよりもテクニシャンに惹かれるものがあり、世界フライ級1位の矢尾板がバンタム級1位のジョー・メデルと対戦した時は大いに困った。どちらの勝利を願うでもなく、2人の身に何ごともなく試合が終わればいいとひたすら願いつつ、テレビの前で手に汗握りながら観戦した。
結果はメデルの僅差判定勝ちだったが、引き分けにしか見えなかった……後年、当時の感想を明かすと、矢尾板さんは「あれは俺の負け。メデルはうまかったもの」と即答した。矢尾板さんの潔さとともに、ボクシング観戦を始めて日の浅かった我が身の未熟さを痛感させられたものである。