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「親の七光りと言われたことも…」“水沼貴史の息子” 宏太が父と同じF・マリノスに入るまで「それで父を嫌いになることはなかった」
posted2022/10/07 17:27
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Getty Images
横浜F・マリノスで、豊富な運動量と精度の高いクロスでチームを勝利に導く水沼宏太。E-1サッカー選手権大会では初めて日本代表に招集され、香港戦、韓国戦に出場し、優勝に貢献した。32歳ながら今も成長を続ける水沼は、マリノスのレジェンド・水沼貴史氏を父に持つ“2世プレイヤー”でもある。水沼に父との関係、日本代表、F・マリノスでの役割について聞いた――。全3回のうち第1回/続きは#2、#3へ
水沼の息子だって見られている感覚があった
水沼宏太の脳裏に今も鮮明な記憶として残っているのが5歳の時、三ツ沢球技場での出来事だ。木村和司氏の引退試合が行われ、宏太は父とともに三ツ沢のグラウンドに立った。
「幼稚園に入る頃から父が出ているサッカーのビデオを見ていたので、サッカー選手なんだろうなっていうのはなんとなく分かっていました。三ツ沢の時は、すでにサッカーをしていましたし、マリノスの選手だというのも分かっていました。初めてマリノスのユニフォームを着て、父と一緒に入場したんですが、2、3段ほどの階段を踏んでピッチに入って行く時はめちゃくちゃ緊張しました」
貴史氏が現役を引退したのは95年だ。宏太は、まだ5歳で水沼貴史の息子という意識はほとんどなかった。そのことを意識させられるようになったのは小2になってあざみ野FCに入団し、公式戦で他のチームと戦うようになってからだった。
「いろんなところに試合をしに行くんですが、相手の親とかにあれが水沼の息子だって見られている感覚があったし、実際に言われていたと思うんです。でも、その時は、父は有名なんだなぁって思うぐらいで、そこまで意識はしなかった。本当に、有名選手の息子と言われ、風当たりが厳しくなってきたのは、中学生になり、F・マリノスのジュニアユースに入ってからでした」
お父さんが有名だからここまで来れているんだ
マリノスにおいて、水沼はレジェンドのひとり。その姓を持ち、F・マリノスの下部組織でプレーすれば、誰もがあれが水沼の息子だと意識し、目を向ける。周囲が意識すれば、その微妙な空気が広がり、本人にも伝播する。