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中田英寿、小野伸二、稲本潤一…才能の惑星直列のごとき日本代表が躍進した日韓W杯と、ソウルのウォーターベッドの記憶
posted2022/10/11 11:00
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph by
Atsushi Kondo
2002年の6月26日だった。僕はソウル市江南区にあるホテルの一室で目を覚ました。
前夜のW杯準決勝第一戦、ドイツは後半半ばにバラックが決めたゴールを守り切り、1−0で韓国を下し決勝進出を決めた。撮影を終えてホテルに戻ってきたのは深夜1時過ぎだった。チェックインを済ませ、廊下を奥に進み、鍵を開けてドアを押すと、狭い部屋の真ん中に円形のウォーターベッドがあった。それはホテルというか、ビジネス街の雑居ビルにあるちょっといかがわしいラブホだった(2002年W杯はどこも宿泊施設不足、特に韓国ではそれが顕著だった)。僕はその奇妙なベッドの上にそのまま倒れ込んだ。
曖昧な記憶の中、枕の上で首を回し小さな窓の方に目を向けると、ヤニと埃で黄ばんだカーテンが明るく光っていた。左手首につけた時計に目をやった。午前10時だった。?! 0.001秒で完璧に目が覚めた。
僕はその日の午前11時30分発の飛行機に乗って帰国し、羽田空港から電車を乗り継いで埼玉スタジアムに行き、ブラジル対トルコ戦を撮影することになっていた。「ラブホで寝過ごしてW杯準決勝を撮り損ねた男」。人生で色々失敗はやらかしてきたが、これが現実になれば失敗のレベルが違った。初デートで相手の女性をそれまで付き合っていた女の子の名前で呼んでしまったのが“J3レベル”だとすれば、これはもうまさしく“W杯準決勝レベル”の大失態だった。
3分で荷物をまとめ、ホテルを飛び出すと、タクシーを探した。しかし朝のビジネス街ではどのタクシーもお客を乗せていた。受付のおばさんは心配して一緒についてきて、慌てふためく僕の背中をさすり続けてくれた。ようやく一台の空車が目の前に止まったが、ドライバーは「そっちには行きたくない!」と拒否する。おばちゃんがものすごく大きな声で彼を恫喝し、ようやくタクシーは仁川空港へと向かい始めた。僕は窓を開け、大声でおばちゃんに叫ぶ。カムサハムニダー! だが、時刻はすでに10時半、ソウル市内から空港までは道が空いていても1時間、どう考えてももう飛行機には間に合わなかった。
便利で奇妙で困惑のW杯体験
メキシコで一度目、イタリアで二度目、その次のアメリカ大会とフランス大会はカメラマンとしての申請が許可されず、2002年日韓W杯が僕にとって三度目のW杯だった。