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〈神回ドラフト〉「外れ1位だといわれましたよ」「ロッテが佐々岡を指名するかも」“野茂英雄に8球団競合”の裏にあった駆け引き
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byJIJI PRESS
posted2022/10/21 06:00
プロ野球史上初となる8球団の競合。野茂英雄がいた1989年のドラフト会議では何が起こっていたのか
さまざまな噂が飛び交い、情報戦を繰り広げるのは今も21年前も同じである。プロに入ることに迷いはなかったが、母ひとり子ひとりの佐々岡は、できれば実家に近い広島に行きたかった。ドキドキしながら指名を待った。広島にも当然他球団が佐々岡をねらっているという情報は入っていた。野茂を獲りそこね、外れ1位でも佐々岡を獲られてしまってはなんにもならない。当日になって方針は変わり、佐々岡は広島の単独1位指名を受けた。
「いやあ、ほっとしましたよ。プロは夢だったし、子どものころから近所でひとりだけカープの赤い帽子をかぶるくらいの広島ファンでしたから」
高校3年ごろから注目されだした佐々岡だが、多くのスカウトが訪れるようになるのは'89年になってからだった。
「世界最強のキューバと戦う全日本のメンバーに選ばれて、野茂などソウルオリンピック組と合宿をし、自信がつきましたね。そのあとの都市対抗で、補強メンバーに入り、NTT東京戦で完投勝ちしたことも大きかった」
与田は「特に中日が熱心でしたね」
のちに都市対抗史上屈指の投手戦と呼ばれるようになるその試合で佐々岡と投げ合い、2ラン1本を打たれて1点差で負けた与田剛もこの年、中日から1位指名を受けた。それも佐々岡と同じ単独指名である。
与田は、高校、大学とほとんど実績を残せず、注目される存在ではなかった。佐々岡以上に無名だったといえる。それが一躍注目されるようになったのは、'89年の5月、全日本に抜擢されて、キューバとの親善試合の第1戦に先発してからだった。金属バットのキューバを相手に、剛速球で真っ向から立ち向かう姿は、野茂などほかの有力選手を見るのが主な目的で来ていたスカウトの目を引いた。
「特に中日が熱心でしたね。ほかの球団が2人のところ、中日はかならず3人が見に来てくれていた」
当然だが熱意は伝わる。与田自身は志望球団も指名順位への執着も持っていなかった。