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「あの年のドラ1は甲子園出場者が…」「日本一になったときには優越感を」“野茂ドラフト”同期が語る仲間意識と反骨精神
posted2022/10/21 06:01
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph by
JIJI PRESS
一方、野茂の外れ1位で指名された投手は5人。そのうち4人までは大学生だった。オリンピックに参加したり、金属バットの打者やキューバを相手にもまれてきた社会人の投手に比べ、この年の大学生は大成までに時間がかかるというのが多くの球団の見方だった。
そのひとり、ロッテに指名された小宮山悟は外れ1位には特にこだわっていなかった。
「プロならどこの球団でもいいと思っていました。東京から一番遠いダイエー(現ソフトバンク)でも半日で東京に戻ってこられる」
だが、早稲田の主将だった小宮山には、独特の重圧があった。
「OBの方は順位にこだわれという。高校生のあとの指名なら行くなというんです。おまえは早稲田の主将なんだからと。部の伝統を考えれば、そういわれる気持ちは理解できましたが、だからといって、納得はできませんでしたね」
小宮山「自分がその年の6番目の選手ということ」
2年浪人して、一般入試で早稲田に入り、主将を務めた小宮山にもOBに負けないくらい部の伝統へのプライドはあった。しかし、高校生よりあとならプロには行くなというのは承服しがたい。与田ではないが、「来年声がかかるかはわからない」のだ。
野茂に指名が重なるだろうということはメディアなどで聞かされ予想していた。8球団となっても、実際に見たことがないので、そういう評価なんだろうなと思う程度だった。それよりも気になるのは自分である。投手、野手合わせて単独1位指名は4人、それに野茂の5人がいわば純粋の1位指名である。小宮山は外れ1位の最初に名前を呼び上げられた。ロッテが指名順位トップだったからだ。
「5人のあとにボクということは、自分がその年の6番目の選手ということ。これは納得できるものでした」
大学生の投手ではトップで、小宮山より先に指名された高校生はいなかったから、OBも口を閉ざさざるを得ない。八方丸く収まる指名だった訳だ。もちろん、どこの球団でも入るつもりだった小宮山に躊躇はなかった。
大洋は佐々木、日本ハムは…
ロッテの小宮山のあと、大洋が東北福祉大の佐々木主浩を指名し、つづいて日本ハムの順番が来た。日本ハムが指名したのは近畿大学の酒井光次郎だった。