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「代アニの同期には能登麻美子さんがいました」声優再挑戦のモノマネ芸人・山本高広47歳が明かす“新人声優”時代「自分オリジナルの声がわからなくなった」
posted2022/09/16 11:02
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph by
Wataru Sato
「室井さん!!どうして芸人辞めなきゃいけないんだ!」
それまで所属していたワタナベエンターテインメントを退所し、山寺宏一さんら多くの人気声優が所属するアクロスエンタテインメントに移籍したことで、「モノマネ芸人を辞めて、声優に転身する」と報じられたことへの反論メッセージだった。
現在はモノマネ芸人と声優業、どちらにも力を注いでいる。なぜ、織田裕二モノマネで一世を風靡した芸人が“二刀流”にチャレンジするようになったのか。(全3回の3回目/#1、#2へ)
卒業後、全く声がかからずそのままフリーターに
――近年は声優としても活躍し、昨年にはアクロスエンタテインメントへ移籍しました。声優の仕事を増やそうと思ったきっかけは?
山本 2009年にゲスト声優として出演させてもらった映画『クレヨンしんちゃん』の仕事が楽しくて。キャラクターに自分の声で命を吹き込む感覚が嬉しかったんですよね。それで、もっと声優の仕事にもチャレンジしたいと思って、知り合いだった制作会社のプロデューサーに相談したんです。その方の縁で、映画吹き替えやアニメ関連の関係者を紹介していただいて。昨年まで所属していたワタナベエンターテインメントも応援してくれていたんです。ただ、なかなか声優関係の仕事とのつながりは薄く、難しさを感じている時にモノマネの仕事がコロナの影響で一気に減りました。自分としてもちょうど良いタイミングかなと思い、より声優に特化したところに移ろうと事務所とも相談して円満退所になりました。
――元々、福岡から上京するときも声優志望だったんですよね。
山本 そうなんです。福岡では土日の昼間に毎週映画が放送されていて。『ナイトライダー』や『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』、『特攻野郎Aチーム』とかの吹き替え版を見ながら、声がかっこいいな、こんな仕事をやってみたいなって憧れたんですよね。それで24歳のときに上京して、代々木アニメーション学院の原宿校に入りました。同期には、能登麻美子さんがいて。かわいかったな~。能登さんのように優秀な生徒は、卒業後すぐに声優事務所に所属するんですけど、僕には全く声がかからず。そのままフリーターになりました。
練習しすぎ。全然会話になっていない
――そこからモノマネ芸人の道に?