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「こう見えても気が小さいんや」近鉄・鈴木啓示vs.阪急・山田久志。大エースが投げ合った44年前の意外なる“決戦前夜”の真相《伝説の藤井寺1978.9.23》
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph bySnakei Shimbun
posted2022/09/23 06:01
1978年9月23日の藤井寺決戦で投げ合った近鉄のエース鈴木啓示(左)と阪急のエース山田久志(右)
孤高のエースvs常勝軍団のエース
藤井寺決戦は初優勝を目指す近鉄と王者だった阪急の戦いであり、孤高のエースだった鈴木啓示と常勝軍団のエース、山田久志の投げ合いだった。しかし、いずれの根っこにあったのも西本幸雄の存在だった。
「近鉄と戦うときって、西本さんの視線ばっかり感じたからね。西本門下生の勢いもすごかったし、(鈴木)啓ちゃんもあのときは出れば勝ちで絶好調や。それでも近鉄の選手に対してはかかってこいという気持ちになれたんだけど、西本さんの視線だけは気になるんだよ。『俺はお前のことを知っているぞ』みたいな視線……長所も短所もわかられてる感じかな。ただ、俺の中にはやっぱり、西本さんに見てほしいという気持ちもあってね。やってます、頑張ってます、山田を見て下さいって」(山田)
「西本さんは1年目、私がピッチング練習してると必ず見に来て『スズ、野球は力やない、タイミングや、力抜いて投げてみい』って言う。自主トレ、キャンプ、シーズン直前までずーっと同じことを言い続けた。それも、今初めてお前に言うんやで、という感じで言ってくる。昨日も言うたとか、何べん言うたらわかるんやとか、いっぺんも言ったことはない。そのうち根負けして『監督、わかりました、いつものことでしょ』って試してみたら、剛から柔の感覚を身につけることができたんやな」(鈴木)
山田は145球を1人で投げ切って近鉄の、恩師の悲願を潰した。左ヒザの痛みは投げるうちにマヒしていた。そして悔しさを味わわされた近鉄はその翌年、プレーオフで阪急を倒して初優勝を遂げ、連覇も果たす。それでも日本一には届かず……西本が悲運の名将と言われた所以である。