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野球クロスロードBACK NUMBER
創部初・甲子園ベスト4の裏で…聖光学院キャプテンがこぼした“切実な告白”「夏の大会が怖くなったか?」「それもあるんですけど…」
posted2022/08/27 11:01
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Hideki Sugiyama
春の県大会あたりから、聖光学院のキャプテン・赤堀颯とこんなやり取りが増えた。
「全然打てないっす」
「その分、夏まで取っておきなよ」
夏の大会前にも同じように切り出された。
「バッティング、調子上がんないっす」
「だから、取っておきなよ。夏、何試合戦うと思ってんの?」
「11試合か12試合です」
福島大会で6試合。甲子園なら1回戦から戦うとすれば6試合。すなわちそれは、日本一までの道のりを指していた。
聖光学院にひと目惚れして入学
赤堀は福島大会で不動のリードオフマンとして打線を牽引し、打率5割をマークした。甲子園でも日大三、横浜と名門校を撃破した時点で8打数5安打。「打てない」と嘆いていた男がヒットを量産する。
――バッティングの状態は?
赤堀に問う。その回答は個人ではなく、チームに向けられていた。
「とにかく大会前にバットを振り込んできたっていうのもあるんですけど、打てているのはみんなのおかげだと思っています。自分の力で打ったヒットは1本もありません」
これこそ、赤堀たちの世代が掲げ続けてきた聖光学院の精神だった。
「このチームで日本一になりたい」
地元の京都からお忍びで練習を見学し、聖光学院にひと目惚れして入学した赤堀は、1年秋の県大会でベンチ入りしているように、下級生の頃からAチームでプレーできるだけの能力を持っていた。入学当時から「俺たちの代で日本一になる」と結束を固めていたこともあり、1年生のオフから始動する学年別、2年時に結成するBチームでもキャプテンを任される過程で「このチームでやり切りたい」とこだわった。一時Aチーム昇格のチャンスをもらいながらも、「僕は最後までBチームにいます」と宣言したほどだった。
2年生の7月。Bチームの総決算とも呼べる、夏の大会前の3年生との壮行試合について、赤堀は野球ノートにこう綴っている。