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甲子園の風BACK NUMBER
「甲子園を広いとは感じなかった」1年生4番・松井秀喜16歳が涙ながらにのぞかせたプライド…先輩の大阪桐蔭58発大砲に「飛んでないじゃん」
text by
吉岡雅史Masashi Yoshioka
photograph byKatsuro Okazawa/AFLO
posted2022/08/21 11:01
1990年、甲子園のグラウンドに初めて足を踏み入れた松井秀喜。初戦で敗れた1年生4番バッターは試合後に何を語り、その後どのような成長を遂げたのか
アメリカ・ロサンゼルスに到着し、メンバー一行はドジャースタジアムに出向く。誰もが初めてのメジャーリーグ観戦に興奮していた。ホットドッグを買いに行ったかと思えば、帽子を購入してきたと見せびらかしたり、聞いたこともないナチョスを衝動買いしてくる選手もいた。まるで修学旅行のような騒ぎ。その中にあって、松井は割と落ち着いて試合を見つめていた。バケツほどのサイズのポップコーンを行儀よくほおばっていた記憶がある。
ギャクとはいえ、今振り返るとなんとも恐ろしい
ロサンゼルスでの大会が終わると、今度はハワイ選抜チームとの親善試合のためホノルルに立ち寄った。メンバーはすっかり打ち解けていて、松井と同部屋だった大阪桐蔭の和田友貴彦が、ジョークを飛ばした松井の額を叩いて笑いを取るのが恒例になった。ギャグとはいえ、今振り返るとなんとも恐ろしい行為である。
遠征最後の試合は球場というよりグラウンドで、レフトが極端に狭く、逆にライトはフェンスまで130メートルはあったろうか。松井の打球は深く守っていたライトの頭を遥かに超えたが三塁打どまり。対照的に、甲子園で3本塁打を放った右バッターの大阪桐蔭・萩原誠は、レフトへ推定飛距離90メートル弾。秋のドラフト会議で阪神から1位指名された1歳上の高校通算58発バッターに、松井は「(僕の打球より)飛んでないじゃん」と茶化してベンチの爆笑を誘った。
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夏が終わり、松井は必然的に新チームのキャプテンになった。ただ、年が明け、筆者は記者の仕事を離れ、内勤の部署へ異動となった。取材が叶わなかったセンバツではラッキーゾーンが撤去され、甲子園はぐんと広くなった。それを苦にすることなく開幕カードで松井はサク越えを2発放ち、スポーツ紙の1面に「ゴジラ」の見出しが躍った。
<後編へ続く>
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。