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神奈月56歳が明かす“あの武藤敬司ものまね”誕生のウラ話…テレビを見た橋本真也からの電話「絶対に似てるからやり続けたほうがいいよ」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byShiro Miyake
posted2022/08/10 11:00
マニアックかつ豊富なレパートリーで人気のものまね芸人・神奈月。武藤敬司ものまね誕生のウラ話を聞いた
武藤ものまね誕生のきっかけになった“ある一言”
――プライベートでの交流もあったんですよね?
神奈月 橋本選手は家にいろんな人を呼んでワイワイやるのが好きみたいで、若手レスラーだけじゃなく、タレントさんやお笑いの人もよく呼んでいて、そこに僕も呼んでもらってたんです。橋本選手が料理をたくさん用意してみんなに食わせて、兄貴肌の人なんだなと思いましたね。若い頃の藤田和之選手や安田忠夫選手、吉江豊選手なんかも来てましたから。
――神奈月さんの武藤さんものまねを最初に「あれは面白い!」って言ったのも橋本さんだったとか?
神奈月 そうなんですよ。もともと武藤さんのものまねをやるきっかけは、野上彰(AKIRA)選手のひと言なんですけど。
――あっ、そうだったんですか。
神奈月 僕は前から長州さん、馳さんのモノマネはやってましたけど、次にどのレスラーのモノマネをやろうかっていうのは、すごく迷ってたんですよ。それで僕が無精ひげを生やしていた時、野上選手に「あれ? なんか武藤さんに雰囲気がちょっと似てますね。やったほうがいいじゃないですか」って言われてたんです。でも、当時はまだスキンヘッドにしてないオレンジパンツ時代で。
――まだ髪の毛がふさふさしていた時代ですね(笑)。
神奈月 舞台でムーンサルトはできないし、当時の武藤さんはカッコ良さのかたまりだから。黄色いパンツを穿いた馳さんと同じようなわけにいかないじゃないですか。
“スキンヘッドになった武藤”を見てひらめいた
――馳さんの場合、オカッパのカツラに付けヒゲ、甲高い声っていう要素が揃ってますけどね(笑)。
神奈月 でも、当時の武藤さんは超ベビーフェースだから、笑いにつなげられる要素が見当たらなかった。なので野上選手に言われたときは、「ああ、そうですか」って軽く流しちゃったんですけど(笑)。その数年後、大晦日の『猪木祭り』で武藤さんと高田さんがタッグを組んだことがあったじゃないですか。
――2000年大晦日に大阪ドームでやった『猪木祭り』ですね。
神奈月 その時、武藤さんがフードを被って入場してきて、「なんでフードをかぶってるんだろう?」と思ったら、フードをバッと取った瞬間、スキンヘッドになってたんですよ。あの姿を見た時、「これはパーティーグッズ屋でスキンヘッドのカツラを買って、黒いタイツを穿けばモノマネできるんじゃないの?」と思って、ライブでやり始めたんです。
――スキンヘッド姿の武藤さんを見てひらめいたんですね(笑)。
神奈月 それで最初は舞台だけでやってたんですけど、番組でもやらせてもらえるようになったら、たまたま橋本選手がその番組を見ていて。深夜番組で僕の出番は2時すぎだったのに、出番が終わったらすぐ橋本選手から僕のケータイに電話がかかってたんです。「いま観てたよ!」って。