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神奈月56歳が明かす“あの武藤敬司ものまね”誕生のウラ話…テレビを見た橋本真也からの電話「絶対に似てるからやり続けたほうがいいよ」

posted2022/08/10 11:00

 
神奈月56歳が明かす“あの武藤敬司ものまね”誕生のウラ話…テレビを見た橋本真也からの電話「絶対に似てるからやり続けたほうがいいよ」<Number Web> photograph by Shiro Miyake

マニアックかつ豊富なレパートリーで人気のものまね芸人・神奈月。武藤敬司ものまね誕生のウラ話を聞いた

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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Shiro Miyake

武藤敬司を筆頭に、唯一無二のレパートリーで不動の地位を築いたものまね芸人の神奈月(56歳)。プライベートでも親交のあるプロレスラー武藤の引退発表を、神奈月はいかに受け止めたのか。“武藤ものまね”誕生の知られざるウラ話――。《全3回の特別インタビュー前編/#2#3につづく》

――神奈月さんと言えば武藤敬司さんのものまねのイメージが強いですけど、じつは武藤さんと同じ闘魂三銃士のひとり、橋本真也さんと同郷で同い年なんですよね。

神奈月 そうなんです。同い年で同じ岐阜県土岐市の出身なんで。学校は違ったんですけど、僕の高校の同級生で橋本さんと中学の時に同級生だった奴とかいっぱい知ってますよ。また、僕も高校時代は橋本さんと同じ柔道部だったので、他校にすげえデカくて強い奴がいるっていうのは噂になってましたね。

――同じ市内ですごい奴がいるぞ、と。

神奈月 その強い奴が新日本プロレスに入るって話を僕は高校卒業してから聞いたんですけど。僕はプロレスファンなので、「新日本に入るなんてすごいな」という思いと同時に、「こんな田舎の奴が行っても出世できるのかな?」っていう思いもあったんです。そうしたら闘魂三銃士のなかで最初にIWGPヘビー級チャンピオンになりましたからね。

橋本真也から「俺のものまねもやってよ~」

――橋本さんは若手の頃から目立ってましたしね。

神奈月 僕が橋本選手の試合を初めて観たのは、デビュー2年くらいの第3回ヤングライオン杯(1987年)ですね。蝶野(正洋)さんと橋本さんの決勝戦をテレビでやってて、「あっ、これが土岐出身の橋本選手か。やっぱ、強そうだな」と思ったのを憶えてます。「闘う渡辺徹」とか呼ばれてて(笑)。

――当時、渡辺徹さんにそっくりだったんですよね(笑)。では、プロレスラーで最初に親交があったのも橋本さんですか?

神奈月 そうなりますね。最初はテレ朝のイベントで新日本の若手選手たちと一緒になったとき、僕が長州さんや馳浩さんのものまねをやってることをみなさん知っててくださって。その時、愛知県出身の田山(正雄)レフェリーと「僕、橋本選手と同じ土岐市の出身なんですよ」という話をしたら、「今度よかったら道場に遊びに来てください」って言っていただいて。それで行かせてもらったのが最初ですね。

――田山レフェリーも橋本さんと公私共に仲がいい方ですもんね。

神奈月 それで初めて新日本の道場に行ったら、橋本選手も僕が同級生だっていうのを聞いてたみたいで、初めて会った瞬間に「なんで馳なの? 俺のものまねもやってよ~」って言われて、「いや、ちょっと体型が違うんで……」って(笑)。そこから仲良くしてもらうようになりましたね。

【次ページ】 武藤ものまね誕生のきっかけになった“ある一言”

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