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『すぽると!』2代目キャスター・平井理央39歳の今…“4歳1児の母”になって「30代もいろんな種をまいた10年だった」
text by
秋山千佳Chika Akiyama
photograph byMiki Fukano
posted2022/07/30 11:02
元フジテレビアナウンサーで現在はフリーで活躍する平井理央さん。6年半務めたフジの人気スポーツ情報番組『すぽると!』の2代目メーンキャスター時代を振り返るロングインタビュー
平井 圧倒的にやりにくくなったのは、取材パスがないということですね。よほどの理由をもって事前に申請していないと、ふらっと行って取材することができないので。でも自分でできる範囲で、たとえば2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックは、自腹で弾丸取材に行ってきて、1泊5日で帰ってくるという……。
――1泊5日!
平井 47時間移動して、48時間滞在しました(笑)。限られた時間でもいろんな会場を渡り歩いて、7競技を観ることができました。それまでブラインドサッカーだけは観たことがあったんですけど、いろんなパラスポーツを生で観戦したのは初めてでした。
――そういう意味でも大事な機会だったんですね。
平井 はい、しかもどれもすごく面白かったんです。車いすラグビーの音の迫力だったり、車いすバスケットボールも3ポイントシュートがバンバン決まる打ち合いの面白さだったり、ボッチャは針の穴を通すようなボールの駆け引きの見ごたえに感心したり。
なぜ今、パラスポーツなのか?「これは取材しなくては!」
――今でこそ平井さんというとパラスポーツのイメージが強いですが、それ以前、たとえばスポーツ観が変わったという北京五輪の時はパラリンピックを目にする機会がなかったですか。
平井 当時は五輪の閉会式の翌日には帰国して、車いすテニスの国枝慎吾さんのニュースを30秒読む、という程度の関わりしかなかったです。会社を辞めてから初めて、パラアスリートにロングインタビューをする機会があって、「こんなに魅力的なアスリートがまだまだいるんだ」ということに気づきました。「知らなかったなんてもったいないことをした、これは取材しなくては!」と。ただその時点で、リオを逃すと東京までパラリンピックを生で観ることができないタイミングだったので、それじゃイヤだと慌てて行ったんです(笑)。
――ということは、次の東京を見据えての行動だったのですか?
平井 そうですね、リオの4年後……実際には5年後でしたけど、パラスポーツの魅力をより伝えられる人になっていたいなという思いは抱いていました。
――それが地球の裏側まで、自費で弾丸でも行く動機になったのですか。
平井 はい。リオの直前の2016年4月に、「渋谷のラジオ」というコミュニティFMで「渋谷の体育会」という番組を始めていたのも大きかったです。好きなことをやっていいと言ってもらったので、パラスポーツに特化した番組にしたいと、初めて自分で企画書を書いて。パラスポーツとオリンピアンと私の3人が台本なしで鼎談するというスタイルになりました。その番組でいろんなアスリートの方々と出会う中で、彼らが目指しているパラリンピックという舞台を早く観たいという気持ちになっていたんです。
――なるほど。このパラリンピックを経てまた何かが変わりましたか。